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映画・ドラマで中国語

2011年12月23日 (金)

映画・ドラマで中国語(5) 戦場で餃子を

 さて、突然ですが昨日は冬の重要イベント・冬至でした。冬至と言えば、ケーキを食べるイベントであるクリスマスももともと冬至祭のことだったとも言われていますね。

 クリスマスと言えば、ケーキを食べる以外には特に何もないイベントですが、中国では冬至の日に餃子を食べます。もしかしたら北の方だけの習慣かもしれませんが、昨日はふだん餃子を扱っていない飲食店でもあちこちで「冬至餃子」が売り出されていました。(もちろん旧暦の大晦日やその他の節目にも食べます)

 と、いうわけで、何かと止まっている記事も多いものの今回は「餃子」にちなんだ言葉・「包饺子」について書いていきます。(以下、めんどいので敬語やめ)


 まず「包饺子」とはなにか、辞書を引いてみると

包bao(1) 饺jiao(3) 子zi(軽)

ギョーザを作ること。

とだけある。ギョーザは餡を皮で包んで作る料理であれば、納得の言葉である。



 が、戦争ドラマを見ていると、絶対に、あからさまに、どー考えても「ギョーザを作る」と訳しては意味不明の「包饺子」が出てくる。


 とりあえず二例ほど。まずは『鉄道遊撃隊』第8話より。

冯大爷“老洪,你们这次的情报送得很及时。咱们苏鲁支队和一一五师的老六团在抱犊崮给鬼子设下了埋伏,鬼子的一个大队让咱包饺子啦”


 重要単語は

・及ji(2) 时shi(2):適時である,間に合う,グッドタイミング

・设she(4):設ける,設置する,計画する

・A让rang(4)B+C:AがBにCされる


 上記は日本軍の八路軍に対する大規模攻撃の情報を掴んだ劉洪が、それを八路軍に報告。そのため八路軍側は逆に日本軍を待ち伏せし大きな戦果をあげた。その勝利を連絡員の馮老人が劉洪に報告に来て、彼の功績を労っている場面である。訳すと


馮老人「老洪、君はまったくいい時に情報を送ってくれた。我らが蘇魯支隊と(八路軍)一一五師団の六団は抱犢崮で待ち伏せを行い、日本軍の一大隊が我々に「包饺子」された」

 となり、「包饺子」の本来の意味を当てはめると日本軍の大隊が八路軍にギョーザを作らされたことになる・・・・・・なかなかシュールな光景だ。しかもこの台詞のすぐ後に、日本軍の戦死者たちの骨壷が並んでいる場面が出てくるからますます意味が不明となる。(ところで「很及时」を「まったくいい時に」としたけど・・・・・・ここ本当は「君は本当にいいタイミングで情報を送ってくれた」とした方がすげーぴったり合うんだけどね。でもさすがに30年代中国の田舎の老人に「タイミング」とかは言わせられないからねぇ・・・・・・)



 続いてもう一つの例をやはり抗日ドラマである『我的兄弟叫順溜』3話より。


 主人公で新四軍の順溜とその上官である陳大雷の部隊がある村で日本軍の攻撃を受ける。順溜たちは善戦するもののどんどん日本軍に追い詰められていく。日本軍はこれで終わりだとばかりに突撃にかかるが、その絶対絶命の場面で都合よく近くを通りかかっていた新四軍の別部隊が救援に駆けつけ、日本軍がまったく警戒していなかった背後からの奇襲をしかける。以下はその場面(ちなみに日本軍司令官の台詞は日本語)

日本軍指揮官「よしっ! 突撃ィィ!!」

新四军部队司令官“同志们! 打!!”

 突然、背後から猛烈な攻撃を受ける日本軍。

日本軍指揮官「慌てるな! 攻撃停止! まず後ろの敵を倒せ!」

新四军部队司令官“同志们!给我冲啊!”

陈大雷“哈哈哈!鬼子把我们包饺子了吧  一分区刘司令把鬼子包饺子了”


  では単語解説。覚えておくと戦場で役に立つ言葉が多い。

・打da(3):打つ,たたく,殴る,攻める,戦う→状況に合わせて、「殴れ」とも「撃て」とも「やれ」とも訳してOKだと思う。

・给gei(3) 我wo(3)~:~しろ(強い命令形で使われる)

・冲chong(1):突撃,突進,突く,ぶつかる

・A把ba(3)+B(目的語)+C(動詞):AがBをCする(Cの状態にする)


 で、これを訳すると

日本軍指揮官「よしっ! 突撃ィィ!!」

新四軍部隊司令官「同志達よ! 撃て!!」

 突然、背後から猛烈な攻撃を受ける日本軍。

日本軍指揮官「慌てるな! 攻撃停止! まず後ろの敵を倒せ!」

新四軍部隊司令官「同志達!突撃ィィ!」

陈大雷「ハッハッハッ!俺たちは日本軍に「包饺子」されたが、日本軍は一分区の劉司令に「包饺子」されたな!」


とまあこうなる。追い詰められたり奇襲を受けたりでどちらもギョーザを作っている場合でもあるまい。



 まあ、ここまで見てきて日本人ならだいたいわかると思うが、これらの場合の「包饺子」とはすなわち「包囲された」という意味なのだろう。それで意味は通る。


 しかし、本当に「包饺子」には「包囲」なんて意味があるのだろうか?百度百科の
包饺子項目を見ても明らかに「ギャーザを作る」という意味しか見当たらない。

 だが少し探してみたところ「被包饺子」という表現も少しだけ散見できるし、なんとか二件だけ「包饺子」の意味を解説している人がいた。

Q:抗战片中看到包饺子,那是什么意思?求解~~(抗日ドラマで包饺子ってあったんだけどどういう意味? 教えて)

A:四面埋伏,一拥而上全歼敌人(四方で待ち伏せして一気に敵を全滅させること)

http://zhidao.baidu.com/question/314863268.html?fr=qrl&cid=204&index=1&fr2=query


 もう一つもう少し詳しいのを

Q:包饺子是什么意思(包饺子ってどういう意味?)

A:地方方言,指的是被团团围住,像包饺子一样,被围剿,被制服(地方方言で、ぐるりと周りを取り囲むことを指す。まるでギョーザを作るように包囲されて討伐され、征服されること)http://zhidao.baidu.com/question/208784785.html


 とあるように「包饺子」とは方言であり、まさしく「包囲」の意味があることがわかった。ちなみに『鉄道遊撃隊』の舞台は山東省,『我的兄弟叫順溜』の舞台は江蘇省。この二つの省は隣あっている。おそらくここらへん一帯かもう少し広い範囲の方言と見ていいだろう。

 ところで中国語では「ジャオズ」である「饺子」が日本語で「ギョーザ」となったのは、山東方言の発音が元になったから、らしい。


 それにしても「包」が「包囲」を指すことはなんとなくわかるが、なぜ「饺子」がつかなければいけないのか?

 もちろん上でも解説されているように「包饺子」は餡を皮ですっぽり包みこんでしまい隙が無い。完璧な「包囲」を連想させる光景ではある。

・・・・・・だが、それよりなにより完全包囲されている危機的状態でも食べ物のことを忘れない、その精神をこそすばらしいと言うべきだろう。



 ちなみにまったく関係ないが、ブログ主は「包饺子」が出来ない。そもそも小さい頃から折り紙の折り方さえもどうしても理解できなかったくらいなのだから、ギャーザを包むなどという芸当ができるはずなかろう。この間ギョーザを作らなければならないことがあったが、どうしても古代の魚のような形にしかならなかった・・・・・・まあ、以前は調理の途中で分解していき、中の餡が包囲を軽々と突破していったのだから、それよりはましになったのだろう。

 では今回はここまで。

2011年10月30日 (日)

映画・ドラマで中国語(4) 義兄弟の契りを結んでみよう!

 え~と・・・・・・もう誰もが忘れ果てているシリーズ、×ヶ月ぶりの再開です。

 別にブログ主は忘れていたわけじゃありませんが、やるタイミングがつかめなかったもので(更新の遅れ&紹介ドラマ中で適当なセリフがない)。


 ともかく、今回は実践的な言葉を覚えてみましょう。中国人、特に男性と男同士の交流をする上で知っておくと便利な「義兄弟の契り」を結ぶ時に役立つセリフを紹介します。

 「義兄弟」。『三国志』の劉備・関羽・張飛の桃園の契りを持ち出すまでもなく、「義兄弟」文化は中国の男性文化の中に深く根付いてます、何かと言うとすぐに義兄弟になります(ソースは私の脳内です)。中国で暮らすあるいは働く日本の男性諸氏はこのことを深く理解して、これぞという中国人男性と出会ったら、義兄弟になってみましょう。きっとあなたの中国ライフがより充実したものになるはずです。ちなみにブログ主は女なので特に関係ありません。

 しかしいざ義兄弟の契りを結ぶ時に何と言っていいかわからないのではかっこう悪いですよね。下で紹介するのはあくまで一例ですが、覚えておけば役に立つことでしょう。ちなみに義兄弟になる際には、他にギャラリーのいないそれなりに印象深い場所(桃園とか)で、誓いの言葉を言い合いながら用意した酒で乾杯したり(この時、中の酒が飛び散るくらい強くぶつけ合うのがポイント)指を切ったりするようです。


 紹介に使うのはTVドラマ『鉄道遊撃隊』5話より。主人公の劉洪が、幼馴染の男たちを集め、「義兄弟の契り」を結んで初歩的な抗日地下グループを結成するくだりより。

劉洪“弟兄们。上有天下有地,今天咱六位弟兄在此结义。我刘洪把酒问誓只要我刘洪有一口吃的就决不会让弟兄们受委屈”

王强“有福同享有难同当,誓死不当亡国奴”

彭亮“谁要是背叛众兄弟,五雷轰顶天诛地灭”

林忠“不求同年同月同日生,但求同年同月同日死”

小坡“我是各位哥哥带大的,你们就是我的生身父母,以后你们让我小坡干啥我就干啥”

鲁汉“洪哥,你说干啥吧,俺鲁汉决不装熊”

Cap1304_2

・・・・・・・・ふう、あんたらも大概熱いな・・・・・・。

 それでは気を取り直してポイントとなる単語をいくつか解説。解説しなかった単語の読みは契りの場に行く前に各自で確認してください。

・结义 jie(2)yi(4)  :義を結ぶ→契りを結んで義兄弟(姉妹)になる。结拜 jie(2)bai(4) とも言い、このため義兄弟のことを结拜兄弟とも言います。

・只要・・・就~ zhi(3)yao(4)・・・jiu(4):・・・でさえあれば~する

・一口吃 yi(4)kou(3)chi(1):ひと口で。(この言葉の訳は辞書に載ってなくて困ったが、たぶん 「一口」と同じ意味。ただ、この場合「ひと口」の対象が「酒」なので「吃」ではなく「喝」のはずなのだが・・・・・・よくわからん)

・让 rang(4):人に~させる

・受委屈 shou(4)wei(3)qu(1):不満な状態に置かれる,いじめられる,くやしい思いをする,免罪を蒙る

・享 xiang(3):享受する

・当 dang(3):①(負担や責任を)負う,堪える ②(ある役目や職業に)なる,担当する

・誓死 shi(4)si(3):死に誓って、命にかけて

・谁 shei(2):誰、誰でも

・要是 yao(4)shi(4):もしも

・背叛 bei(4)pan(4):背く,裏切る

・五雷轰顶 wu(3)lei(2)hong(1)ding(3):非常に大きな打撃を受けるたとえ→この場合、厳しい制裁を与える、の意味?

・天诛地灭 tian(1)zhu(1)di(4)mie(4):天誅が下り滅びる。同じ意味で、天杀的 tian(1)sha(1)de、がある。

・同年同月同日 tong(1)nian(1)tong(1)yue(4)tong(1)ri(4):同年同月同日(そのまま)

・干啥 gan(4)sha(1):~をする

・装熊 zhuang(1)xiong(2):弱みをみせる(クマになる・・・わけではありません)

・熊 xiang(2):無能,臆病(この場合、こちらの意味に近いかな?


 単語はだいたいこんな感じ。次に句を見てみましょう。

我把酒问誓

・・・・・・いきなり「把構文」か・・・・・・。「把構文」はわけわからないですよね。いや、読む分には問題ないけど、説明するとか自分で書く時に使うとかはねぇ。

 え~と、中国語の文法は、「主語+動詞+目的語」が基本となりますが、この「把」を用いますと、「主語+把+目的語+動詞」となります。この例句も「我问誓酒」が「我把酒问誓」となります。「私はこの酒に誓う」みたいな感じですかね?

 この「把」は一定の条件の中でしか使えなかったと思いますが、その条件とは何ぞやとか、どうして順序を変えなくてはならんか? という疑問に対する説明は・・・・・・私の中国語理解力をはるかに上回るので割愛させてください。


只要一口吃的,就决不会让弟兄们受委屈

 「只要A就B」は、「Aという条件ならBをする」という中国語で頻出の文法表現です。

 この場合「A」とは「一口吃的(一口で)」であり、この前に「酒」の文字がありますので、「この酒を一気に飲み干す」ことを指します。

 「B」は「决不会让弟兄们受委屈(絶対に兄弟たちを不当に扱わない)」で、つまり誓いの酒を飲み干した瞬間から、劉洪は兄弟たちを不当に扱ってはいけないということになるわけです。

 訳する場合、「この酒を一気に飲み干した後は、決して兄弟たちを不当に扱わない」だと不自然ですので「この酒に誓う、以後、この劉洪は兄弟たちに対し決して不当なまねはしない」ぐらいでいいんじゃないかと思います。


二つの「当」

 王強の台詞「有福同享有难同当,誓死不当亡国奴」の中で「当」という言葉が二回使われていますが、この二つはそれぞれ別の意味を持ちます。

 まず「有难同当」の「当」は、「困難なことがあれば共にこれに当たる」という意味で、「苦難や責任を負う」という意味の「当」です。

 一方「不当亡国奴」で使われる「当」は、「ある役目や職業に就く」の「当」です(私が見るドラマではよく「当兵(軍人になる)」という言葉が出てくる)。この場合、「当」の前に否定形の「不」がつきますので「亡国奴にはならない」という意味になります。


干啥就干啥的

 この場合の「就」も上とほぼ同じ。ある条件下ある結果が起きることを言います。

 この場合、「干啥(みなが何かをやれと言えば)」が条件にあたり(何をやるかはこの時点でわからないので干の後に啥がつきます)、二回目の「干啥(何でもやる)」がそれを受けて発生する行為・結果となります。

 つまり「みながやれと言ったことは何でもやる」というふうに訳せばいいでしょう。

 ちなみに「就」の用法は山ほどあり

你们就是我的亲身父母

の中で使われている「就」は「限定・または強調」の「就」なのです。本当は「你们是我的亲身父母(あなた方は私の本当の父母です)」と「就」抜きでも問題無い文なのですが、「就」をつけることで、「あなた方」がどういう存在であるか=自分にとって父母も同然だという小坡の気持ちがより強く相手に伝わるのです。


そういうわけで以上を踏まえて日本語に訳すと

劉洪「兄弟たちよ、上に天あり、下に地あり。我々六人は今この時より義を結んで兄弟となる。我、劉洪はこの酒に誓って言う。以後、兄弟たちに対し決して不当な取り扱いはしない、と」

王強「喜びも苦しみも分け合う。決して亡国奴にはならない」

彭亮「もし誰かが兄弟たちを裏切れば、必ず厳しい制裁、天誅を下す」

林忠「同じ年同じ月同じ日に生まれることは叶わずとも、ただ同じ年同じ月同じ日に死ぬことを望む」

小坡「俺はここにいるみんなについて大きくなりました。あなた方はすなわち俺の本当の父母も同然です。あなたがたがやれと言ったことは何でもやります」

魯漢「洪の兄貴。あんたが俺に何かを命じたなら、俺は絶対に意気地のねぇとこは見せねぇ」

・・・・・・とまあ、こんな感じ。


 林忠の「不求同年同月同日生,只求同年同月同日死」は言わずと知れた『三国志』の桃園の誓いの台詞。訳文もそのまま使いました。せめて義兄弟の契りの際にはこれくらいは言いたいものですね。しかも日本人があえてこんなこと言ったらきっとポイントも高いでしょう。でも人気のある台詞だと思うので、複数間で契りを結ぶ際には先に誰かに言われてしまう危険性も大。

 王強の「有福同享有难同当」とはつまり結婚式の「病める時も健やかなる時も」的な何かです(違う)。もし複数間ではなく、一対一で義兄弟の契りを結ぶ時に使うととってもロマンチック。

 彭亮の「谁要是背叛众兄弟,五雷轰顶天诛地灭」は、いわゆる兄弟の義を裏切るものは許さないという宣言ですが、義兄弟関係を結ぶ相手やなぜ義兄弟関係になるかの趣旨(マフィアとか)によっては裏切ると本当に死の制裁を受ける危険がありますので、裏切りはやめましょう。ちなみにこの台詞を契りの場で言うと覚悟のほどを認めてもらえるかもしれませんが、いざという時裏切り者を粛清する役が回ってくることもあります。

 また、やや時代がかった台詞や「上有天下有地」「有福同享有难同当」「不求同年同月同日生,但求同年同月同日死」などのように似たような言葉を重ねたり、前後が対の意味になるような台詞を言うのも定番のようです。


 というわけで「義兄弟の契りを結ぶ時に役立つ中国語」でした。・・・・・・まあ、今時ここまで仰々しい儀式をするのは黒社会やら反政府組織やらくらいかもしれませんが、もしそういうのに参加したい人の参考になれば幸いです。


※ちなみに現代では「心の兄弟」的な義兄弟(?)が一般的なようです。先日、とある中国人男性が自分の大学時代の先輩のことを語っていたのを聞いたのですが、彼はこう言いました。

「その人と出会った時、ああこの人は私の兄さんだ、と思った」

 ・・・・・・そうですか、そうなんですか、そうなんですね? 私が心の中で悶えていたことはナイショです。

2011年2月11日 (金)

映画・ドラマで学ぶ中国語(3) クライミング・イン・ザ梁山泊

※注:ブログ主は中国語初級者です。けっこう推測を交えて書いているので、間違っていることもあります。


 

 今回は『西安事変』の楊虎城のセリフより、ある「成語」について。

楊虎城「天不由人啊  逼上梁山 汉卿 干吧」

仮訳「『天というものは、人の思うとおりにはならない。追いつめられて梁山泊に逃げ込む』だ。漢卿、やろう」


・天tian(1)不bu(4)由you(2)人ren(2)=天は人の思い通りにはならない

→どうしようもない

 辞書を引くと「天時不由人」という言葉があり、意味は「天の時というものは思い通りにならない」。ここから「時」が抜けて「天は人の思い通りにならない」という意味になると思われる。

 このまま「成語」として訳してもいいけど、その持つニュアンスを汲み取って「ものごとが自分の自由にならない(うまくいかない)」という訳にもできるだろう。場面の状況に合わせ、似た意味の言葉にしていけばいいと思う。

 「天不由人」だけで一つの言葉(成語)となっていると思うが、分解して見てみると

・天=空や天気の意味があるが、この場合は人の力ではどうにもならない超越した存在,神または運命という意味だろう。

・由人=人の思うとおりになる。「不」がつくと、人の思い通りにならない、という意味になる。




・啊a(軽)=感嘆詞。ああ~、~だなあ、などの意味。




・逼bi(1)上shang(4)梁liang(2)山shan(1)

 これは成語だが、その訳を書く前に一つずつ見ていこう。


・逼=迫る,追いつめる,無理に・・・させる。というように自己の意志では必ずしも了承していないまたはある条件が起きなければしなかったであろう行為を、他人や周りの状況によってさせられることを指す。

・上=「上」にはさまざまな意味があるがこの場合は、高いところへ登るまたは上がるという意味である。

・梁山=中国の代表的な古典『水滸伝』で108人の反乱者が集まった「梁山泊」のことである。転じて豪傑が集合する場所を意味する言葉にもなっている。

 というわけで、「逼上梁山」は「追いつめられて梁山泊に登る」ということになる。


 成語としての「逼上梁山」は辞書によると

①追いつめられて窮余の策として梁山泊に逃げ込む。

②追いつめられてやむなく反抗する

③のっぴきならず悪に走る

という意味がある。


 実は私は『水滸伝』ってちゃんと読んだことないのだけど・・・・・・どうも梁山泊に集結した108人の好漢たちにはそれぞれ通常の社会で平穏に生きることができなくなってしまった理由があり、それで梁山泊に上って官軍と戦うことになったらしい。

 つまり、彼らに何かしらの外的要因が作用しなければ、好き好んで反乱行為は起こしていなかったと言えると思う。だとすると「逼上梁山」は自分達の良いとは言いいがたい行為が、あくまで(往々にして理不尽な)何らかの事態に対するリアクションであることの表明と言える。逆に言えば、真に望むものは平穏無事に過ごすことであったということだ。


 ドラマ中でこの台詞は、張学良が再三「内戦停止、一致抗日」を訴えても蒋介石に相手にされなかったため「最後の手段」を具体的に計画し、それでも決行前の最後の機会と今度は楊虎城を説得に赴かせたがやはりだめ。そうして説得に失敗した楊虎城が張学良にかけた言葉である。

 自分達だとてこのような手段がベストだとは思えないが、今までさまざまな道理を尽くしてきたのに蒋介石こそそれを理解せず、かえって自分達を追い詰めている。すでに他に道はなく、しかもこのような事態を招いたのは(自分達にこんなマネをさせようとするのは)蒋介石自身が招いたことである、と言っているのだ。

 これだとちょっと責任転嫁っぽく聞こえるが、ここで楊虎城は、すでに決行を決めているがまだ蒋介石に執着を残しているように思えた張学良にダメ出しをする、あるいは精神的負担を軽くするためにこの成語を持ち出したのだろう。また、自分達が本来望んでいたのは平穏であり穏当な手段であり、血に飢えて好き好んで暴力的手段を行使するわけではない、ということをはっきりさせておくことは反乱者にとっては重要なことである。

 そしてこの後、二人は「西安事変」を起こすのである。



・漢han(4)卿qing(1)=張学良の字。



・干gan(3)=する、なす。

 いろいろな意味があるが、この場合は「する」。何をするかと言えば、会話をしている楊虎城と張学良の間でははっきりしていることであり、なおかつはっきり口にするのははばかられること、すなわち「蒋介石を監禁して抗日を迫る」ことである。

 ふだんの会話では、お互いに何をするか了解しあっている間柄で、わざわざ口にだして言うのは野暮な状況の時に使えるだろう。



・吧ba(軽)=~しよう、するぞ。命令文で命令の語気を弱める。


 というわけで、楊虎城の台詞は、故事成語っぽい雰囲気を残して

楊虎城「『天は人の思う通りにはならない、迫られて梁山泊に上る』ということだ。漢卿、やろう」

 でもいいいし、もう少しシンプルに

楊虎城「もう他に道はない。漢卿、やろう」

でもいいんじゃないかと思う。

2010年11月13日 (土)

中国映画・ドラマで学ぶ中国語(2) それは、食べられません。

 久しぶりの・・・・・・と言うか久しぶりにしかならないこの企画。


 今回は、『井崗山』の朱徳や参謀長の王など紅軍幹部達が会話しているシーンよりこのセリフいってみましょう。

王尓琢”怎么样?(どうする?)  吃掉它

朱徳”你是不是没吃早饭? 饿了”(「君は朝飯を食わなかったのかね? 腹をすかせているんだな」)

 このシーンは別に朝忙しいサラリーマンが朝食を食い逃した場面ではなく、向かってくる敵にどう対処するか話し合っているシーンである。

 しかし、なぜそんな場で朱徳は朝食の話をしているのか? ポイントは王尓琢参謀長の 「吃掉它」という言葉。

  • 吃 chi(1)→食べる
  • 掉 diao(2)→(動詞+掉で)取り除く
  • 吃掉→食べてしまう(=食べ物を食べて取り除く)、敵をやっつける
  • 它 ta(1)→英語の「It」と同じ意味。動物や無生物など具体的な人間個人以外のものを指す。この場合「敵軍」のこと。

 「吃掉」は「 吃」(食べる)という動詞に「 掉」がくっついて、「食べてしまう」という意味になるが、この場合、王参謀長が言わんとしているのはもう一つの意味だろう。

 日本にも「あのむかつくヤロウに一発食らわせてやったぜ」とか言うが(←言うか?)、これはべつに相手の口に食べ物を詰め込んできたわけではなく、殴ってきたことを意味する。それと似たようなもので、この場合、「吃掉」は「敵をやっつける」という意味になる。


 しかし「吃」の用法としては「食べる」の方が圧倒的にメジャーである。そして「吃」だと単に「食べる」という意味だったのが、「吃掉」だと「食べてしまう」という意味になり、前者よりもがつついているイメージが強まる。

 朱徳は王参謀の「吃掉它」の「吃」をわざと「食べる」の意味で受け、その血気盛んな様子を「腹が減ってしかたないんだな、朝飯食べなかったのか」と返した。朱徳のユーモアの一種というわけだ。



 しかし、その後も紅軍幹部たちの会話表現には、食事ネタが続く。

何長工”朱军长,凭我们二十八团的胃口。吃掉它,绰绰有余啊”

  • 朱zhu(1) 军jun(1) 长 chang (2) →朱軍長・・・・・・そのまんま朱徳のことです。
  • 凭ping(2)→寄りかかる、頼る、・・・を根拠に、証拠。
  • 我wo(3)们men(軽声)二er(4)十shi(2)八ba(1)团tuan(2)的de(軽)→私達二十八連隊の
  • 胃wei(4)口kou(3)→食欲、嗜好
  • 凭我们二十八团的胃口→私たち二十八連隊の食欲に頼る→私たち二十八連隊の食欲にまかせる→私たち二十八連隊は充分に食欲がある(=私たち二十八連隊におまかせを)。
  • 吃掉它→それを食べてしまう、敵をやっつける
  • 绰chou(4)绰chou(4)有you(3)余yu(2)→充分余裕がある(成語表現)→(意訳して)朝飯前。
  • 啊a(軽)→語尾表現

というわけで、この中国語は

「朱軍長、我々二十八連隊は充分に食欲があります。それを平らげらるなんて朝飯前ですよ」

「朱軍長、敵は我々二十八連隊におまかせください。あんな奴ら簡単にやっつけられます」

となるが、もちろんドラマ中では後者の意味である。


 さらに、朱徳軍長があえて部隊を退く作戦を出したことに疑問を覚えた幹部が以下のように質問している。

袁崇全”军长,肥肉到嘴边了。不吃啊?”

  • 肥fei(2)肉rou(4)→肉の脂身、うまみのある仕事。
  • 到dao(4)嘴zui(3)边bian(1)了le(軽)→口元に至る→口元まで持ってきた。
  • 不bu(4)吃→食べない。
  • 啊(軽)→軽い疑問を表す

肥肉は(主に豚の)脂身のある肉を指し、中国では上等な肉と言えば「肥肉」を指す。なので

「軍長、せっかくうまい肉を口元にまで持ってきたのに、食べないんですか?」

となるが、だがここでは別に朱徳が脂身肉が嫌いだったわけではなく、

「軍長、せっかく敵を叩けるのになぜ部隊を退かすのですか?」

という意味になるだろう。また場面は違うが井崗山を一時占領した敵がなぜか撤退してしまった時、王佐も敵の行動の意図がつかめず以下のように言っている。

王佐”这到了嘴边的肥肉,他们没啃完就走”(この口元にまで持ってきたうまい肉を食べ終わらないうちに行っちまったのかよ)

こうやって見ると「口元まで持ってきたうまい肉を食べない」とは、「絶好の機会をわざわざ見過ごす」とか「据え膳を食わない」ということを言いたい時の常套句なのかもしれない。




 さて、今までの紅軍幹部の会話を軍事会議の場にふさわしい言葉で訳すと、

王尓琢「どうする? 叩きつぶしてやろう!」

朱徳「君は随分血気に逸っているな。戦いたくてしょうがないとみえる」

何長工「朱軍長、敵は私たち二十八連隊におまかせください。簡単に倒してみせますよ」

(略)

袁崇全「軍長、敵を叩く絶好の機会なのに、退却するのですか?」

 それでは次はセリフの中国語をとても素直に訳してみよう。

王尓琢「どうする? 食い尽くしてやろう!」

朱徳「君は朝食を食べてないのかい。ずいぶん腹をすかしているとみえる」

何長工「朱軍長、私たち二十八連隊も充分食欲がありますよ。あれを平らげるなんて朝飯前です」

(略)

袁崇全「軍長、目の前に脂身肉があるのに食べないんですか?」

 ・・・・・・なんかおもしろい展開になった! とても上の訳と同じ場面のセリフと思えねぇ(笑)


まとめ

 さて、では最後にまじめに文法の整理を。今回重要なのは

・掉→振り回す、ひけらかす、向きを変える、換える、落ちる、遅れる、なくす

・動詞+掉+「O」→動詞の行為によって「O」を取り除く。

例えば、

扔掉→捨ててしまう(捨てて、なくなる)

跑掉了→逃げ切られてしまう(逃げて、いなくなる)

忘掉了→すっかり忘れてしまう(忘れて、記憶から取り除かれる)

というふうに。


またそれをふまえて、「吃掉」には二つの訳し方がある。

・動詞+掉+「O」としての「吃掉」+「O」→「O」を食べきってしまう

・それだけで一つの言葉としての「吃掉」+「O」→「O」をやっつける。


 それじゃ、今回はここまで。

2010年10月 1日 (金)

中国映画・ドラマで学ぶ中国語(1)命乞いの方法

国慶節快楽! 中華人民共和国61歳のお誕生日おめでとー


 さて、『中国映画・ドラマで学ぶ中国語』。1回目ですので特に実用的な言葉、殺されそうになった時、命乞いをするために使える言葉、を紹介します。



「我有八十歳老母」


 使用ドラマは「狙撃手」1話&13話。前回言っていた「今まで紹介したドラマから」とかをいきなり無視してすんません。「狙撃手」は抗日戦争を題材にした連続ドラマです。

容疑者”长官,冤枉啊!我们什么都不知道! 我上有八十岁老母!”(『狙撃手』1話)

訳:容疑者「長官、私は無実です! 私たちは何も知りません! 私には世話をしなければならない八十歳の老いた母がいるんです!」

方儀球”俺们家还有八十岁老娘呢 !大少,救救我!”(『狙撃手』13話)

訳:方儀球「俺の家には八十歳の老いたおふくろがいるんです! 大少(主人公の呼び名)、助けてください!」

 

  上記の”我有八十岁老母”は、1話と13話で使われ、1話ではスパイ容疑で中国軍の特務に捕まった商人(?)が、取調べの場で無実を訴えながら慈悲を請う場面。

 13話ではかつて軍隊から逃げ出し、再び戻って来たものの逃亡罪(銃殺刑に処される)で捕まった兵士・方儀球が、かつての上官である主人公(大少=若旦那と呼ばれている)に助けを求めるシーン。

 

 では一つずつ見ていきましょう。

・我wo(3)

=私

・上shang(4)有you(3)

=老人を抱える。これは「上有老,下有小」=「(扶養すべき)老人や子どもを抱えている」という慣用句の前半部分が元になっている。

・八ba(1)十shi(2)岁sui(4)老lao(3)母mu(半3)

=八十歳の老いた母。

・俺an(3)们men(軽)家jia(1)

=おいらの家。中国の一人称は「我」だけと言われることが多いが、他にもこの「我」の粗野な言い方として「俺」がある。「俺」の場合は、「オレ」「おいら」などと訳すのが適切。田舎者や教養の無い者が使う人称であるが、怒りでぶち切れた場合にも使用される。

「俺们」は直訳すると「俺たち」「おいら達」だが、この場合「们」は、後ろの「家」との関係で「俺たち(家族)の家」という程度の意味であり、またこのセリフが発せられた場面に方儀球の家族も居合わせていないので、訳する際は無視していいと思う。・・・・・・たぶんそういう意味。

 また「家」は住居としての家という意味も「家族」という意味もある。しかし、日本語で「家」と訳せば両方の意味を包括できるので、「俺の家」とする。

・还hai(2)有you(3)

=まだある(いる)。・・・・・・扱いに困る「还」・・・・・・。まあ、この場合は「有」の強調表現程度に考えて、訳すときは「いる」ぐらいでいいんじゃないかと。

・八ba(1)十shi(2)岁(4)sui老lao(3)娘niang(2)

=八十歳の老いた母。

「母」を表す言葉には「母亲」「妈妈」「娘」などがある。

このうち「母亲」はややあらたまった言葉。「老母」というセリフには発言者の教養が感じられる。一方、「妈妈」「娘」は一般的な言い方。ちなみに「老娘」とは言うが「老妈」とは言わないようだ。



 この「有八十岁老母」という言葉を『狙撃手』1話で初めて聞いた時、私はこの発言者(容疑者)に本当に80歳の母親がいるものだとばかり思っていました。実際、この人物の年齢からすれば、80歳の母親がいても不思議はなかったからです。

 しかし。

 再びこのセリフが発せられたのは『狙撃手』13話。発した人物は(年齢は明示されませんでしたが)明らかに20代後半から30歳くらい。・・・・・・・・・・・ぶっちゃけ、おまえの母ちゃんはいったいいくつの時におまえを生んだんだ!?、とツッコミを入れたいセリフですね。

 50歳過ぎての出産? 1930年代の中国(今でもだけど)で超高齢出産だな・・・・・・。

 

 というわけで、どうやら「80歳の母親がいる」というのは、どうやら命乞いの際の決まり文句のようですね(もっとも、このドラマの舞台が山西省なので、その地方のみで使われる決まり文句なのかもしれませんが)。

 実際、脱走の罪で捕まった時に「80歳の老いた母親がいる」と叫んで主人公に助けを求めた方儀球は、その後主人公が「何か家族に遺言はないか?」と尋ねた時、「長官、すんません。俺には実は80歳の母はいないんですよ」とばっちし答えてます。



 この命乞いの言葉の論理は、「80歳の老いた母親がいる」→「もう年だから俺が面倒を見なければいけない」→「だから俺を殺さないでくれ!」、ということなのでしょう。なんだか、「俺には妻子がいるんだー!(だから殺さないでくれ)」というのに似ています。って言うか、どっちの場合でも「老いた父」はどうでもいいようです。

 ともかく扶養義務のある家族を持つ人間を殺すということは、その本人のみならず扶養されていた家族にまで被害が及ぶ、最悪、彼らも生きていけなくなるかもしれない、そんな罪深いことをしてはいけない、ということ。



 さて、「八十歳の母親」がいるからなんだというんだ・・・・・・・・・ではなくて、何故「八十歳」の「老いた母」なのか?

 まず「八十歳」という具体的な年にあまり意味はないだろう。白髪三千丈、と同じく程度が著しいことを示すためのもので、この場合、”ひどく年をとっている”といることを端的に表現するための言葉でしょう。90歳だと非現実的すぎるし、70歳くらいだと何となく説得力が弱いのかもしれません(まあ、20世紀前半の中国で60歳過ぎというのは長寿の部類に入るでしょうが)。

 次になぜ「妻子」ではなくわざわざ「母親」としているのかについて。合理的に考えれば、「妻子」も夫が死ねばそれは苦労するだろうが、ぶっちゃけ再婚するという手が残っています。また「妻」が若ければ、大変ではあるが女手一つで「子」を育てることだってできるかもしれません。つまり「妻子」は、「夫」である自分が死んでも必ずしも共倒れになるとは限らないわけで、これでは命乞いとして押しが弱い。

 しかし「老いた母親」は?

 「老いた母親」の伴侶は同じくらい、もしくはそれ以上に老いていることでしょう。「八十歳」であれば伴侶には先立たれ、子どもだけに頼って生きている可能性が大です。さらに老いているなら今さら再婚も難しい。働くなんてまず不可能です。つまり子どもが死ねば、この何の罪もない母親まで生きていけなくなるのです。しかも、老い先短い中、子どもに先に死なれるショックはいかばかりでしょう?

 

 つまり命乞いの歳に「八十歳の母親」を持ち出すことは、中国伝統の儒教精神によって人々の心に深く根付いている孝行精神(親の扶養義務)や敬老精神に訴えかけるというなかなか奥の深い方法なのです。しかも「妻子」にあぶれている男はたくさんいるかもしれませんが、「母親」がいない人間はいません。しかも男はたいていマザコンだといいます。「母親」を持ち出すことにより普遍的な訴えとなるのです。


 というわけで、今回は命乞いのための中国語

「我有八十岁老母」

でした。

 ちなみにこれが命乞いの決まり文句になっているとすると、今さらそんなことを言っても誰も信じてくれないと思うので、効果のほどは保証できません。

 

2010年9月22日 (水)

映画・ドラマで学ぶ中国語(0) 

 一応、私は中国語を勉強する身でして、中国の映画やドラマを見るのも勉強の一環です。映画やドラマを見るのは語学の勉強の良い方法らしいですね。

http://www.chinesemaster.net/modules/study_chinese/index.php?id=36

 ↑の他にも中国ドラマ視聴で学んでいるという中国語学習者のブログもちらほら散見されます。

 もちろん語学は話すのが何よりの勉強ですが、「多聴」のためには映画・ドラマ視聴もけっこう役立つでしょう。何より語学テキストのように無味乾燥な会話ではなく、生き生きとした面白い中国語が学べるのが長所でしょう。

 そういうわけで私が映画・ドラマを買い込むのは中国語学習のためでもあります・・・・・・・・・・・という自己欺瞞で「ううっ、もう見切れないほど買っているのに、またこんなに買ってしまって・・・・・・って言うか、こんなにマニアックなドラマ買い込んで・・・わたし・・・・・・・なにやっているんだろ? 馬鹿?」と、ふと冷静になった時に自分で自分にいいわけしています。

 というわけで、私が中国ドラマを見るのは中国語学習のためです。決して萌えるため(だけ)ではありません、自分で言っていて説得力を感じていませんが。

 まあ、嘘も方便と言いますし、せっかくですので、ドラマで覚えた中国語を紹介し、中国語学習の皆様の役に立てるようなコーナーでも作ってみようかと思います。なにしろ、同じようなことをやっているブログ見ていておもしろそうだったので(←単純)。

 しかし、このブログで扱っているのは、他のブログが扱っているような生ぬるいトレンディ華流ドラマではなく、「革命&抗日ドラマ」です。

 ぶっちゃけ「保証完成任務!(必ずや任務を達成します)」というこの手のドラマで頻出する言葉を覚えても、今後の人生のどこで使ったらいいのか皆目見当がつきません。

 まあ、人生何が起こるかわからないので使う時もあるかもしれませんが、そんな「革命言葉」ばかりでもアレですので、取り扱うのは

  1. 基本的な言葉
  2. 会話で覚えとくと便利な言葉
  3. ユニークな言い回し
  4. 革命言葉

を主に取り扱っていこうと思います。

 ・・・・・・ただ、ブログ主も初心者に毛の生えた程度の中国語能力しかありません。セリフの訳や解説に著しい間違いがある可能性があります!

 なので間違っていたらすいません。パソコンの向こうで「ぷっぷっ!こいつ間違ってやんの、やーいやーい」とか嘲笑ってください。こっそりコメントで指摘してくれるとなおいいです。


 また中国革命の主な舞台が農村であるため、ドラマの舞台も農村、特に華北の農村の場合が多く、登場人物のセリフも田舎の粗野な言葉遣いである場合があります。(や、田舎をバカにしているわけでは決してありませんが・・・・・・)

 そしてドラマ中で使われた言い回しも全国的なものではなく、ある地方でしか使われていないものである可能性もあります。そしてブログ主にはそれを判別できるほどの能力はありあません。そのへん、ちょっと気をつけてお読みください。

 あ、ちなみに4声は、(1)=一声、(2)=二声などで表します。基本、普通話の発音でいきます。

 

  教材に使うドラマはすでにここで取り上げたものをランダムに使います。