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2013年3月 8日 (金)

2012年超趣味的中国映画ベスト3

 長い間更新が滞っていて申し訳ありませんでした。帰国して以来、周りの環境があまりにめまぐるしくブログ更新をする時間が取れませんでした。

 当ブログ毎年恒例の中国映画&ドラマランキングも年末には書けず、「まあ、中国関連なんだから中国の正月・春節合わせでも・・・・・・」と思い、中国の今年の春節・2月10日合わせの記事をめざし・・・・・・・ましたが、こんなに遅くなってしまいましたorz

 とは言っても、昨年はあまりの忙しさのあまりそもそも作品をあまり見ていないので、小規模なランキングとなりますが・・・・・・しかもドラマを見る時間もないのですべて映画です。


 さて、当ブログを今まで見てきた方にはわかると思いますが、当ブログはブログ主の少々特殊な趣味に基づいて作品レヴューをしており、ランキングも当然その基準に沿ったものとなります。


 作品選考の基準は以下の通りです。

  1. 中国大陸で制作・発表された作品のうち、内容が中国近現代史に関わるもの。具体的には1911年の辛亥革命から現代に至るまでの歴史を扱ったもの、またはその時代背景を生かした作品となります。ぶっちゃけて言うと、革命ものと抗日ものが中心となります。「中国映画も抗日映画以外なら好きなんだけどねぇ~」とか「中国のTVつけると毎日抗日ものやっていてイヤーねぇ」とか仰る方は今すぐ脱出することをおすすめします。
  2.  

  3. ”2012年”とありますが、これは「2012年に放映された作品」ではなく「ブログ主が2012年に見た作品」を指します。今回の場合、古くは1959年発表作品から2012年放映作品まで幅広い作品が対象です。

 





選考対象


 で、この2点を基準として選考対象としたのが以下の作品。



『1911』『譲子弾飛(邦題:さらば復讐の狼たちよ)』『黄金劫奪案』『黄河絶恋』『戦火的青春』『超強台風』


 わっ! 6作品しかないよ! 今年どんだけ時間なかったんだ、自分、今もないけど。


 このうち『超強台風』ってのはスーパー市長がとにかくスーパーに大活躍するヒーロー映画・・・・・もとい本格災害パニック映画なのだけど(←自分で書いといてけっこう白々しい)・・・・えっと、これって中国近現代史映画? というツッコミはありましょうが、と言うかツッコむしかないでしょうが・・・・・・、まあ確かに2000年代が設定なので<辛亥革命以降>を舞台にしていますが、ならば『失恋33天』とかも<近現代史>映画かい!? という話になりましょうが・・・・・・・でも『超強台風』と『失恋33天』はやっぱり違うのです。どこがどうとは言えませんが、やっぱり『超強台風』はぎりぎり中国近現代史や革命ものの系譜に連ねていいだろ、ってことでノミネートと相成りました。





作品賞ベスト3


 それでは作品ランキングを3位から行きます。




3位:『戦火中的青春』

(放映:1959年/映画/第二次国共内戦/オリジナル人物/監督:王炎/主演:龐学勤,王蘇娅)

Photo

http://www.tudou.com/programs/view/C5Ew5jpdr40/(劇中挿入歌)

http://www.tudou.com/programs/view/N8FKHN1uuWQ/(OP&ED)


 第二次国共内戦が舞台な少女漫画的萌えワールド映画。

 解放戦争中の山東のとある解放軍部隊。主人公・雷振林が隊長を務めるその部隊に地元の民兵英雄・高山が新任の副隊長としてやってきた。しかし小柄で女みたいな顔のくせにプライドが高く生意気な高山に雷振林は反発。二人は何かとぶつかりあってしまう。しかし戦いの中で雷振林は高山の小さな体に似合わぬ強い意志と高い能力を認め、苦楽をともにするうちに最高の同志だと思うようになる。しかしある時、雷振林をかばって高山は負傷し、運び込まれた病院で重大な秘密が発覚してしまう・・・・・・・・。


 と、まあ、あらすじはごくシンプルなもの。この作品の見どころは、キャラクターとその人間関係。

 鋭い人はもうわかっているかもしれないが、この高山という「小柄で女のような」副隊長、実は男装した少女。国民党軍に殺された父の遺志をついで性別を偽り解放軍に参加というのだから、この『戦火中的青春』は『木蘭従軍』の系譜を正当に受け継ぐ作品と言えよう。

 で、高山が男装の少女だとはもちろん雷振林は知らない。知らないまま隊長と副隊長の関係になり、反発しあい喧嘩をし、ともに戦いの中で成長して、やがてかけがえのない戦友として惹かれあい・・・・・・そして彼が実は彼女だった、と発覚!


 いやいやいや、一応男性視点で描かれているものの、それってなんてべたな少女漫画的展開? って感じだ。


 見ている側は高山の正体に気がついているので、二人の微妙な関係にくすぐったい気分になったり、萌え萌えしたり・・・・・そう、この作品の勝因は男装の少女副隊長と隊長という設定のおもしろさを絶妙に引き出し観客を十分に萌えさせてくれる点にある。もう50年代の中国映画ってこういう掘り出しものがあるからあなどれない。


 ところでラスト近く、部隊を代表して入院中の高山の見舞いに行く雷振林の様子がもう本当に嬉しそうで嬉しそうで・・・・・・まさしく久しぶりに最愛の恋人に会いに行く初々しい青年って感じなんだけど、この時点で雷振林はまだ高山が女だと知らないんで、この明らかに高山にほとんど恋心を抱いているような様子はなにげにけっこうやばいシーンなんじゃ・・・・・・・?





3位『超強台風』

(公開:2008年/映画/建国以後/オリジナル人物/監督:馮小寧/主演:巫剛、宋暁英)

3

http://www.youtube.com/watch?v=2ETmV42Lghk(日本語字幕予告※大波が街を飲み込むシーンがあります)

http://www.youtube.com/watch?v=8M7T82XowaA(市長PV 土下座編)

http://www.youtube.com/watch?v=52e6mBH1RR0(市長PV VSサメ編)


 うちのブログ恒例の同率順位です・・・・・・って一人でやっているんだから同率も何もないが、要は優柔不断ということです。


 史上最大の”超級台風”の猛威と巨大な自然の力の前で為すすべなく無力さを噛みしめる人間たち、CGを排し徹底したミニュチュアで再現された古都が嵐の中で崩壊するカタルシス、中国初の本格災害パニック映画はハリウッドを超えた!!

 ・・・・・・・・・・・・・・・と見せかけて、実は元特殊部隊出身の熱血市長一人の適格な判断と超人的な活躍で人災もパニックも起こる余地がなく、ミニュチュアであることが丸分かりの街が崩壊し、避難所に人食い鮫が飛び込んできても誰一人死なないどころか金魚の一匹に至るまで助かるという超強市長の前には史上最大の台風も無力に敗れるしかない爆笑ヒーローアクションものである!!! (あ、このスーパー市長がハリウッドの大半のヒーローを越えている、ってのは本当ね)


 まあそんなわけでこの映画の評価を見るとほぼ「くだらねぇぇ!!」「くだらねぇけど超うけるぅぅぅ!!」の2種類に分けられ、どっちにしろくだらないことには変わらないのだが、くだらなさもここまで突き詰めると傑作になるというアレである。


 この映画は基本的に台風のことはどうでも良く、ひたすら市長の適格な判断と捨て身の活躍を描く。台風の上陸がまだ定かでないうちから経済活動の停止による損害よりも市民の避難を優先させ、命令違反をした町長を一罰百戒でクビにし、軍を直接指揮下において効率的な救助活動を行い、避難を拒否する漁民を単身説得に行き、逃げ遅れたコソ泥を自ら命がけで助け、瀕死の妊婦を救うため法律を犯しても輸血の許可を下し・・・・・・最後は本当に決壊するかどうかわからない(しかし決壊すれば何十万もの犠牲者が出る)ダムの放水を決め開発中だった経済特区を沈める。

 この映画には利権や経済活動を優先して専門家の意見を無視し天災を人災にしてしまう愚かな官僚は存在せず、経済や法律よりも必ず人命が一人一人に至るまで尊重され、過ちを犯しクビにされた町長も反省して身を挺して人々を助け、コソ泥一人を救うため市長から漁民までが一瞬で団結し、その様子を見てケチな小悪党であるコソ泥も感激の涙を流し「俺はいいからみんな逃げてくれ!」と叫ぶ・・・・・・・


 現実の中国を知っている者ならば、ここに描かれたことがすべて絵空事であることがわかる。そして映画が現実の中国とは似ても似つかない世界を大真面目に直球で描いているものだから、そのギャップで(失笑を含めた)笑いが生まれるのである。

 おそらく監督はそれを理解した上で「理想的な為政者と理想的な人間たち」を描いている。いくつかの映画評が指摘している通り、それによってこの作品は現実の中国の腐敗ぶりを風刺・批判しているのだろう。



 だけど現実はさらなる展開を用意していた。

 市長は言う。「我々の都合を専門家に押し付けるな」「まず第一に考えるのは我らが人民の命だ」「金はまた稼げる。しかし命は失ったら二度と戻らない」「我々は何百万の命もたった一人の命もないがしろにしない」「命を守ってこその法律だ」「1%でも危険の可能性があればだめだ」「(数十億元の価値を生む開発中の経済特区を沈めたことに対し)……人命が助かったのだからいいさ」。

 なるほど、これは確かに現実の中国の政府や官僚に対する鋭い批判・風刺だ。でもこれ中国の話だろ、って笑っていたら実は日本に対してもしっかりあてはまることが3.11以降あからさまになっちゃったんだけどね!





2位『黄河絶恋』

(公開:1999年/映画/抗日戦争/オリジナル人物/監督:馮小寧/主演:寧静、ポール・アレクセイ、王新軍)

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http://v.youku.com/v_show/id_XMjczMjIwODY4.html(ネタばれ動画)


 太平洋戦争のさなか、連合国のパイロット・オーウェンは黄土高原の一角に不時着してしまう。彼を救出した女性兵士・安洁を含む八路軍の小部隊は、日本軍が占領する危険地帯を突っ切って彼を安全地帯に送り届けようとするが次々と犠牲者が出て・・・・・・・


 これが『超強台風』の監督と同じ人が撮っているとこれ書いていて気づきました(笑)。んで、この作品を撮った馮小寧監督は「異なる民族や組織の属する者同士が、所属組織から離れて互いにぶつっかたり協力しながら逃避行をする」というテーマが大好きで、この作品は彼の《戦争と平和三部作》の一つであり、前作『紅谷河』ではイギリス人・中国人・チベット人の逃避行を、次作の『紫日』ではソ連軍女性兵士・日本人少女・中国人農民の逃避行を選んでいる。


 で、あらすじにある通り、『黄河絶恋』は、①価値観の違う中国人とアメリカ人の組み合わせ+②なのに孤立無援で日本軍から逃げなきゃならん!+③その途中で発生する八路軍女性兵士とアメリカ人の恋物語!! 

 いやはやこんな設定で話がおもしろくならないわけない。そして実際に文句なく面白い。さらにここに親子の確執やら、民族の苦悩やら、次から次へと襲い来る危機とそこからの脱出、登場人部たちの悲しい過去などが絡んで、奇抜な設定に頼るだけでなくその設定が十分に生きるストーリー作りで、最高に燃える冒険エンターテイメント作品となっている。でこぼこチームの冒険と恋を彩る黄土高原と黄河の圧倒的な映像美もすばらしい。黄土高原好きはそれだけでも充分に見る価値がある。

 日本軍のことさえ気にしなければ(って言うかいちいち気にするのは自意識過剰だと思う)、充分に楽しんで見られる佳作である。しかし、ある意味ただ楽しいだけの作品とも言え、そのためさんざん迷ったが当初考えていた1位をやめて2位とした。






1位『譲子弾飛(邦題:さらば復讐の狼たちよ)』

(公開:2010年/映画/辛亥革命~抗日戦争/オリジナル人物/監督:姜文/主演:姜文、周潤発、葛優)

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http://saraba-ookami.jp/top.html(日本語公式サイト)

http://v.youku.com/v_show/id_XMjMwNzM2NzQw.html(予告編)


 辛亥革命後の混乱期。大盗賊の張牧之は赴任途中の県知事が乗る列車を襲うが、その際に新任県知事は死亡。生き残った「書記」を名乗る男に「県知事になれば金儲けができる」とそそのかされ偽知事として仲間とともに県城に赴くが、そこは実際には悪徳地主・黄四郎が牛耳る土地であった。黄四郎と癒着することを拒否したため義理の息子を殺された張牧之は黄四郎に復讐を誓い、法を司る県知事と無法者の盗賊として丁々発止の闘いを繰り広げる。


 この映画は中国において歴代興行収入一位の作品であり、その人気の秘密は共産党政権に対する批判が随処に散りばめられているからだと言われている。例えば冒頭の馬に牽かれて走る列車が転覆させられるシーンはマルクス・レーニン主義(中国語で馬列主義)の転覆を暗喩したものだと言われるし、映画のラストで主人公の仲間たちが革命騒ぎをやめて上海に金儲けに行くシーンは元革命家の拝金主義を揶揄しているなどが代表的で、その他各シーンに込められた意味を探ろうと映画館に繰り返し通う人が多いのも成功の理由だろう。 

 さて、映画に込められた共産党批判の暗喩は日本でも論じられているし、映画パンフにもどこのシーンがどう共産党を批判しているかズラズラと(うんざりするくらい)紹介されていた。それはそれで間違っていないし、いろんな評論家や観客が「あのシーンは何々の暗喩で~」など評しているのはほぼ当たっているのだろう。


 しかし、それよりこの映画を語る上でもっとぴったりの言葉をパンフレット中に見つけた。(パンフレットを買っていないので誰が書いたか忘れたが)それは「映画的自由」という一言。鑑賞後にこの言葉を見つけた時、映画を理解する鍵をつかんだように思えた。

 「映画的自由」。それはいわゆる「言論の自由」とは少し違う。中国は言論の自由が制限されている国であり、この映画がそれに挑戦しているという見方は間違いではないけれど、それよりも姜文監督が求めているのは、「映画的自由」なのではないかと思う。


 これは日本やアメリカのように言論の自由が保障されている国でさえ実現は難しい代物である。なぜならそれがぶち壊さなければいけない対象とは、政府の規制というわかりやすい外部の敵ではなく、「映画とはこういうものである」という作り手と観客が無意識に作り出す<枠組み>そのものなのだから。

 この<枠組み>は、映画のすべてにかかってくる。起承転結があり謎やスリルに満ちていても一貫性があるストーリーとキャラクター、無意味なシーンやセリフの削除、どんなに技巧的で斬新に見えても暴走しているわけでないカメラワークetc。ましてや観客には「映画のストーリー」そのものに集中し、いかなる不条理映画でさえその内容によってメッセージを受け止めてもらうべきで、「映画を見ること」に対してよけいな力を使わせたり、「席に座ってこの映画を見る」ということ自体が一つの体験としてしまうものでもない・・・・・・。<映画の枠組み>とは観客に安心して映画を見てもらうために、観客と作り手の相手の暗黙の了解によって成り立つ<映画の文脈>である。


 しかし姜文監督はそんな「映画を見ること」の常識を丸めて捨ててしまった。彼はただ自分の才能だけを信じてただ彼がやりたいように映画を撮り、それを観客に見せつけた。

 この映画、あらすじだけ見るとなかなかおもしろそうだが、実は本編のストーリーとかキャラクターの生き方とか基本的にどうでもいいのである。ストーリーは荒唐無稽で一応起承転結はあり人物設定も魅力的に見えるが、やっぱりストーリーもキャラクターも破綻しているし、一貫性などというのも放棄されているに等しい。

 そして観客にとっては実に見ることが疲れるジェットコースター映画である。とにかく息をつかせる暇もない丁々発止のやりとりと荒唐無稽を極めた展開で見ていて目が回ったのは私が二日徹夜の後に見に行ったからというわけでもあるまい。姜文監督の溢れまくるイマジネーションの海に溺れかけたというか、なんで映画館の席に座って振り落とされないよう気をつけなくちゃならんような感覚に陥らなきゃならんのか・・・・・・・。って言うかよくもまあ馬に引かせた列車が吹っ飛ぶ映像とか思いついたあげく実行しちゃうものだ。この暴走するストーリーと炸裂する意味不明のイマジネーションを余すところなくとらえるカメラワークも、これはこれで好き勝手に動き回っているように見える。

 一言で言うと姜文監督やりたい放題!! と言った感じの映画、と言うか基本ストーリーとかどうでも良くてそれを味わうべきだと思う。


 そんなやりたい放題なだけの映画なんて素人映画だって? プロなら映画の枠組みを守ったままで自由を表現しろ、自由と無秩序は違うって? 姜文監督はまさにそんな手垢のついた束縛的な価値観こそ嘲笑って粉砕したかったんだろし、それだけのパワーを映画は発揮しえた。(思えば映画の冒頭で馬に牽かれた列車が張らの襲撃で宙を舞った瞬間は、この映画が映画的文脈のレールから大幅にはずれることを宣言していたようなものだ)。

 映画的文脈からすれば破綻しまくったキャラクターたちだが、それでも(まさしく姜文監督自身が演じる)大山賊にして偽県知事の張牧之の自由で破壊的な姿に何を見出すか、だ。

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 この映画が、いや姜文監督が全身で発しているメッセージはただ一つ。 「自由を! 徹底的な自由を!」だと思う。


 実は荒唐無稽なストーリーも破綻したキャラクターもフリーダムなカメラワークも好き勝手に暴走するイマジネーションも、それによって観客が蒙るまるで映画に振り回されているような感覚も「自由そのもの」を表現するためだけに用意されたようにさえ思える。

 姜文監督が自由を求めているわけではない、監督自身はもうこの映画でそれを達成してしまったのだから。彼はよりにもよって「言論の自由のない」中国でそんな映画を作り、自分が達成したその自由を観客にみせびらかし、喝采を浴びてみごと興行成績歴代一位の座をかっさらって行ったのだ。監督は自らの才能によって「自由」の勝利を得た。(共産党政権への暗喩的批判などは、一人で先に徹底的な自由を達成し自信にあふれた監督から観客へのちょっとしたお遊びだったのかもしれない)


 我々は留保なく限りのない自由を求めることができる。すべての束縛をぶち壊してどこまでも自由になることができる。自由を、徹底的な自由を、もっともっと! そんな力強い声が満ち溢れているようだ。


 映画の中で自ら張牧之を演じ自由を謳歌する姜文監督は楽しそうだ。その自由を観客に見せつけてくれる。実に性格悪の姜文監督らしい。

 しかし、その時間はやがて終わりが来る。すべてが解決し一人感慨に浸る張牧之にともに戦った仲間たちが別れを告げにくる。金儲けのために上海の浦東に行くと言う。姜文監督演じる張牧之はやや茫然とした顔で尋ねる。

「みんな、俺と一緒で楽しくなかったか?」

 仲間たちはやや困ったような顔で答える。

「楽しかったけど・・・・・・・疲れる」


 このシーンは評論家によってはかつての革命家たちが革命を捨て拝金主義に走ったことを暗示するとも、革命は疲れる、という暗喩なのだとも解読される。(なにしろこのやりとりに限らないがここで楽しいか楽しくないかなどと聞く自体が会話の流れ的におかしい)

 それに異論はないが、私はむしろ監督と私達観客の本音の対話の暗喩なのではないかと思う。姜文監督自身が演じる張牧之は姜文そのものであり、そして唐突に彼から去っていく仲間たちは私達観客の暗喩である。

 この映画は確かにめちゃくちゃであったが楽しかった、だが正直疲れた。監督が映画的文脈から自由であるためにレールから映画を吹っ飛ばしたゆえに、映画的文脈によって映画を見ることに慣れた観客は見ていてどこか落ち着かないし疲れてくるのだろう。ここで私は知らずに映画の枠組みの中に自ら閉じこもりたがる自分に気がつくのである。(実は私がここまでこの映画に対してこんな荒唐無稽な妄想的な感想を書いたのも、このラストのやりとりと「映画的自由」という言葉が直感的に繋がり、あのラストのセリフに秘められた意味を)


 徹底的な自由は、楽しいけれど疲れるのである。誰も姜文監督の立っている場所までは来てくれない、いつも彼は一人残される。私も含む観客たちは、自由を求め楽しみながら自ら<枠組み>を<レール>を望む。自由を規制してしまうのはなにも中国政府だけではなく、むしろ自分たち自身なのだと主人公と仲間たちのあっけない決別のシーンは語っているようだ。

 「楽しいけど……疲れる」。

 それはおそらく常に斬新でしかも楽しませる作品を作ってきた姜文監督が今まで感じてきた観客からの無言のメッセージだったのだろう。そうやって常に観客に求められ去っていかれながら、彼はこれからも自分の求めるままに映画を作っていくのだろう。こと映画を見ることだけに限っても、安心して見られる<枠組み>を望み、映画の限界をどこかで自ら定めてしまっている私たちは、いつになったら監督と同じ場所に立てるだろうか?





特別賞:『セデック・バレ』

(公開:2011年/映画/歴史人物/監督:魏徳聖 /主演:林慶台、馬志翔、徐詣帆、林源傑、安藤政信)

Photo

http://www.u-picc.com/seediqbale/(日本語公式サイト)

http://www.youtube.com/watch?v=RgeH_zZv9vQ(予告)



 『セデック・バレ』は台湾映画なので本来ランキングの対象外なのだが、やっぱりこれははずすわけにはいかないだろ、ってことで特別賞。実質、2012年№1映画かつ今まで見たアジア映画の中でも5本の指に入る傑作。

 日本統治下の台湾における先住民族・セデックの抗日蜂起である霧社事件を描く。蜂起のリーダーであるセデック族のモーナ・ルダオを中心にセデックの祖霊の地が武力により日本の植民地になってから、30年後の蜂起(霧社事件)とその敗北までを描く。第一部『太陽旗』と『虹の橋』の二部構成。今年GWに日本公開が決定している。



 セデック族の闘いを英雄視または野蛮視といったどちらの立場にも立たず、理解できないことは理解できないままに、あくまでセデック族たちが経験した歴史そのものをそのままに描く姿勢の映画と言える。霧社事件とその背景をじっくり書き込むとともに、生きるとは? 民族とは? まで問いかける力作。映像美、人物設定、演技、音楽など文句なくすばらしい。

Photo


 ただ第一部『太陽旗』ラスト・霧社事件までの深い物語に比べ、第二部の『虹の橋』はひたすらはでな戦闘描写中心で一部の注目すべき場面(花岡一郎自決シーンなど)以外はだいぶ薄味かつ単調になってしまったのが残念。

 また、すでに映画祭などで見た一部日本人による①この映画は抗日映画じゃないよー(抗日映画だからなんだと言うのだ?)②監督の日本への愛のメッセージだよー(台湾人ではあるが漢族である監督が、内なる他者とも言うべき先住民族の物語を自身の「日本への愛のメッセージ」などに横領したとしたら、それがどれほど無神経なことかわからないのだろうか?)という自己愛に満ちた作品の応援の仕方が多々見られるのも非常に残念。特に②のような無神経な観点は徹底的に拒否すべきだろう。



 作品の感想などについては以前にも書いたが、せっかく日本上映が決まったのだからぜひ映画館で実際に見て感じてほしく思う。

 私が以前書いた記事は『セデック・バレ』感想(1)『セデック・バレ』感想(2)を参照ください。






俳優賞


 対象作品のうち、最もすばらしい演技や印象に残る演技を見せてくれた俳優を発表。今回は対象作品が少ないため、男優と女優一人ずつのみを発表します。




女性部門:『戦火中的青春』王蘇娅/高山役@『戦闘的青春』

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 1936年、北京生まれの満州族。10歳で解放軍の文化工作団の役者となる。『戦火中的戦闘』以外の代表作は『五朶金花』の「鉄工場の金花」、『海霞』の「阿洪嫂」など。


 <男装して戦う女性>というモチーフは『木蘭従軍』の伝統を持つ中国で実に好まれるパターンだと思う。昨今の戦争もの映画・ドラマでもよく<性別を偽り男装して戦う女性>というキャラが登場するがその表象のされ方が実になげかわしい。

 
  いくら髪を短くし胸を隠したところで、明らかに女性だということが丸分かりな容姿ばかりなのである。はっきり言って、これを見て女だと気づかないとは全員の目がどうかしてるとしか言えない。もしかして本物の女を見たことがないかもしれないレベルである。(例:『木蘭』(映画)、『地道戦』(ドラマ版))。「男装の女性戦士」という萌え設定はやりたい、でもビジュアル的には美人でいてほしいし、たおやかでほっそりした女性らしさは少しも殺したくないというジェンダーバイアスも丸出しのままでいたいという欲望を両立させた結果であろう。


 が、王蘇娅演じる『戦火中的青春』の高山は違う。ほとんど丸刈りなベリーショートな髪型、少しもたおやかでもなければ丸みもない完全に女性性を排除した体型。するどく意思の強い眼光と表情。どれ一つとっても戦友たちが誰一人として高山が女性だと気づかなかったとしてもまったく不思議ではない。

 この映画は高山が女性だと知らない隊長と高山の戦場での微妙な関係を観客が眺めて楽しむ映画だが、仮にそういう設定を知らないまま見て(基本、劇中では高山が女性であることはラストまで観客にも隠されているが、古典映画のためそういう設定であることは知れ渡っている)、負傷した高山の診断をした医師がカルテの性別欄の「男性」の文字を消して「女性」と書き換えるシーンでの観客の受ける衝撃ははかりしれないだろう。

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 女優であればここまで容姿も性格も女性らしさを完璧に抹殺した役をやるのは(特にジェンダーバイアスが激しく、観客が女優に求めるものがあからさまな中国においては)ためらうこともあるかもしれないが、完璧に演じきったのはすばらしい。(ただ例えば『地道戦』における女村長・林霞の雄々しさのように、この当時にあっては女優は雄々しくても問題ない、むしろ革命映画にとっては積極的に求められたのかもしれないが、それでも相当なものである)





男優:山崎敬一/『黄金劫奪案』@鳥山幸之助役

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 1966年東京生まれ。2010年頃から中国の映画・ドラマなどに出演。他の代表作は『借銃』(ドラマ)の中村源一役など。

 抗日映画『黄金劫奪案』で主人公たちを追い詰める満州の憲兵を演じた日本人俳優。


 抗日映画における日本軍人はやたらエキセントリックな変人が多いが、その中でも特にエキセントリックで変人なのが鳥山。(詳しくはこちらを参照)ある意味この映画のカラーは鳥山のぶっ壊れぶりを(顔芸も含めて)いかに表現できるかにかかっていたと思うが、山崎敬一は見事に怪演してくれた。

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 それにしてもこんなにもステキな演技ができる役者が日本で活躍できず中国で抜擢されている現状を日本の俳優界は少し憂いた方がよいのでは?





楽曲賞


 対象作品の主題歌や挿入歌として使われた曲で良かったものを選びます。これも今回はベスト1のみ。
 



「セデック・バレ」(『セデック・バレ 第一部太陽旗』挿入歌/唄:
阿穆依 穌路

http://www.tudou.com/programs/view/_orGxGpaA-w/(本編映像付)

http://www.tudou.com/programs/view/ar4M9gSzDbc/(音のみ、10分版)


 第一部のラスト・霧社襲撃でセデック族が次々と人々を襲い首をはねていく血なまぐさい場面で流れたセデック語の歌。血なまぐさい映像とは真逆に優しくどこかもの哀しい女性の声で唄われる子守唄のような歌。

 残虐な場面で流れる子守唄(のような歌)という使われ方が秀逸なのと、ある意味真逆に見えて霧社襲撃と呼応する民族の魂の真髄を歌い上げたものなのかもしれない。




 と言うわけでだいぶ長くかかりましたが、以上が2012年のベスト作品でした。

 

 

 

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コメント

突然おじゃましてすみません。学生時代に文化大革命を見てきた(日本で)お爺さんとしてはなんとも不思議な感覚でこのブログを拝見させていただきました。好きな人物が林彪、彭徳懐というのはどういうことなんだろうかと首を捻っています。私は高校時代から毛沢東批判をしてきたのですが、頭の古い爺さんには何故林彪、彭徳懐なのかとても理解できません。といって、昔のような政治論争を仕掛けたいのではなく、ただわからないなあという思いがするとともに、何故若い人がという思いで思わずコメントを書いてみました。ちょっと酔っているせいかもしれません。どうもすみませんでした。

>オジンガーZeit さん

 はじめまして。当ブログにご訪問ありがとうございます。お返事が遅くなってすみませんでした。

 長年、真剣に中国近現代史を考えていらっしゃるような方にこのようなぶざけたまくったブログをご覧いただくのは冷や汗ものというか、お恥ずかしいばかりです。私もたとえば別所では日中戦争に関して真剣に取り組んでいますし、中国近現代史の悲惨さは存じていますが、こちらでは暗いことばかり考えているその反動か思いっきり遊んでしまっているしだいです。(ちなみに私が中国近現代史に興味を持ったのも高校生の時でした)

 さて、なぜ林彪、彭徳懐が好きかと言いますと、まず前提の話として、例え今の時代にどれほど影響がある人物であれ、私にとっては結局のところ彼らはすでに「歴史上の人物」として割り切ることが可能な人物であるということです。つまり歴史ファンが三国志や新撰組の中で誰が好きかと言うのとほぼ同じことになっているのです。

 私としては中国近現代史を真剣に考えるのと、ある特定人物が好きか嫌いかを考えるのを切り離して考えており(と言っても完全に切り離すことは不可能ですが)、後者の場合その人物の生き様とか性格とか個人として考えていたことに注目して好き嫌いの感情が生まれるということです。

 その中で林彪・彭徳懐を特に好きなのは、(もう好きになってから10年以上経過しているので最初の頃の思いが曖昧になってますが)、彼らが私の相反する好みに合うからです。
 彭徳懐は人間的に強くて公明正大で皆から愛されるようなところが好きです。そして林彪は人間的に弱くて病的で皆から嫌われるようなところが大好きです。つまり前者は人間的美徳に惹かれ、後者は人間的欠点の方に惹かれているわけで、しかも林彪の方がより好きなのです。(林彪を好きな理由について書き出すと大著ができてしまいそうなのでここでは割愛します(笑))
 しかしいくら好きだとは言っても、結局のところそれは「私の好みに合うように私の中で理想化された」彼らであり、現実の彼らとは一線を引くべきだとは思いますが。

 当ブログも「現実の中国近現代史」とは慎重に一線を画してあくまでお遊びとしてやっていますが、それでも根底には中国近現代史に対するマジな思いがあるので、ネタなんですけど「いや、これネタですから」という方向には逃げたくはないなぁ、と思っています。

 疑問の返答になっていますでしょうか? わけのわからないブログですが、もしよろしかったらまた訪問してください。


>>2013年3月10日 日曜日 午前11:22にコメントいただいた方

 非公開をご希望でしたが、一言だけ。
 超素敵な情報ありがとうございます!!! 今後チェックしてみようと思います。 最近全然更新できませんが、また遊びに来てくださいね。

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