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2012年6月11日 (月)

『セデック・バレ 完全版』メモ

 これは『セデック・バレ』感想(1)の続きではありません。

 ちゃんとしたのを書く時間が無いので、とりあえずこの前『セデック・バレ 完全版』を見た時(私が最初に見たものはインターナショナル版=短縮版)にはてなハイクに書いたものをほぼそのまま貼っておきます。思いつくままにハイクに書いたメモですので、見てない人にはとても不親切な内容ですが・・・・・・。

 ちゃんとした感想は・・・・・・・・・・・・・・・まあ、そのうち必ず。

 なんと、近くの図書館(私は中国某所在住)で『セデック・バレ 太陽旗』の上映会をやっていた!

 『太陽旗』とついていることは、完全版(前編『太陽旗』後編『虹橋』の二部構成で計4時間以上)の第一部。すでにインターナショナル版(二部構成を2時間半1部構成に編集したバージョン)は映画館で見たけど、完全版が放映されるとあらば、明日の仕事の準備が何一つ終わってないが絶対に見に行かなくては!(←オイッ)、と思った。 

 ・・・・・・・・・・・・・・・って、ちょっと待て。確か中国では『セデック・バレ』は完全版は放映されていなくて、インターナショナル版だけが放映されていたんじゃないの? じゃあ、これって海賊版DVDの上映なわけ? おいおい、図書館(汗) ・・・・・・・・前からこの図書館の上映会はなにか怪しかったわけだが・・・・・・いや、きっと深い事情があるんだよ、うん。って言うか、完全版ってたぶん正式な上映許可降りてないと思うけどそれも含めていいんかい? あと字幕はどうしたんだろ?

 で、見てきたらやっぱり字幕は台湾の繁体字だったよorz。やっぱし台湾版DVD使用か。 


 で、完成版を見た感想としては、インターナショナル版と比べて大きく違う点は無かったこと。以前書いた感想も修正の必要無し。


 

 ただ、学校襲撃シーンでカットされていた「衝撃的シーン」は見ることが出来た。 
 なるほど、これか・・・・・・
 確かに衝撃的だね。でも映画的にすごい良いシーンだと思うよ。何でインターナショナル版では削ったんだろ? かなり肝のシーンじゃん。カンヌで編集版(一般公開されたインターナショナル版と同じか不明)は酷評を受けたというけど、このシーンは入れていたのかね? もし入れていたら賛否両論は起きそうだけど、もっと評価されたんじゃないかね。



 で、大阪映画祭で上映した完全版見た人の感想の多くが、この学校襲撃のシーンでセデック族側に感情移入できなくなったという。しかしインターナショナル版ではそうでもない、という見解がある。
 完全版とインターナショナル版の学校襲撃シーンで唯一違うのが上の「衝撃的シーン」の有無。
 ・・・・・・まあ、確かに一瞬嫌悪感を持たざるを得ないシーンだし、もし日本人視点から映したら映像的にも内容的にもすげーホラーにもなりうるシーンだったけど・・・・・・これがそんなに「感情移入」の有無を左右する種のものかね? だとしたらその「嫌悪感」はどこから生まれるものなのか? なぜ自分は共感できないのか? 少し突き詰めてみるべきだと思う。


 なんかみんなぬるま湯に漬かっているのかもしれない。まあ、日本人は「支配者と戦う」という歴史とは縁が薄い民族だからかもなぁ。(追記:「支配者と戦う」とはああいうこともあるものじゃないかね、と思う。きっと「感情移入できない」という人はパレスチナ人の自爆攻撃のニュース見て、「まあ、狂信者ってこっわい」とか言う人なのかも)
 もう一点。


 私はインターナショナル版で『セデック・バレ』における「セデック語」と「日本語」の使い分けに注目して見ていて、そこに重点を置いて感想を書いた。しかし、この「使い分け」は日本語もしくはセデック語ネイティヴの人が映画を見た場合にしか充分には生かされない。だって、日本人またはセデック人以外からしたら日本語もセデック語も自国語に翻訳され字幕か吹き替えで理解するものだもの。言語が切り替わった瞬間やその効果なんてわからない。



 前回、映画館で見た時はガラガラだったけど、今夜はほぼ満席だった。中国の映画館で楽しいのは、観客の反応が顕著な点。つまり上映中でも中国人は隣の人と内容について議論したり、日本人以上にざわめいたり笑ったりするので、彼らがどういう点に注目するのかもわかりやすい。
 で、セデック人が初めてセデック語ではなくて日本語を喋り出すシーンはかなり印象深いシーンなのだが(追記:あれほど日本語が醜く感じられるシーンもそうそうないだろう)、中国人観客は無反応だった。そりゃそうだ。「何を喋った」かは字幕を見ればわかるけど、今「何語」を話したかどうかなんてわざわざ聞き分けないのが普通だ。
 でも「何語」で話されたかわからないと、このシーンが持つ意味がだいぶ味わえなくなるんだよね。もったいない。



 あと、ついでにもう一点。もし日本人でこれを見て、ちょっとでもアイヌや沖縄のことを思い起こすことが無かったら、やっぱりそれも問題じゃないかね・・・・・・・なんとなく知っている沖縄の友人がこれを見たら号泣するだろうな、と映画見てて思った。

昨日書けなかったけど、昨夜『セデック・バレ』の完全版の後編『虹の橋』を見た。
途中からしか見れなかったけど、上映会場に入って画面見て率直に思ったこと。




「これはどこのベトナム戦争だ・・・・・・」





 インターナショナル版では主人公らが死んだように見えた「橋のシーン」、完全版では生きていていてまだ話が続いていたのにびびった・・・・・・いや、どー見たって死んでいるだろ、あれ・・・・・・ぶっちゃけあの後のシーンの主人公は仲間たちの見た幻かと思っていたけどそうでもないらしい。
 しかもあそこでぴしゃっと終わったインターナショナル版と違って、せっかくクライマックスで盛り上がりまくったのに、まだまだ話が続いてしまうのもどうかな?


 まあ、それでも『虹の橋』も平均点以上の出来だけどね。

2012/06/04 3:21:39




追記

「虹の橋の下では誰もが友人になれる。そこではすべての怨みも憎しみも消える、そうでしょ?」

 (たぶん正確では無いが)ある登場人物が言った言葉。これはインターナショナル版には無かったが、たぶんこの映画を理解する重要なキーとなる言葉だと思う。

 主人公たちもその敵(同じくセデック族)も「祖霊の地」=「虹の橋の下」に行くために戦う。それはつまり「誰もが友人になり、怨みも憎しみも消える場所」を目指すための行為ではなかったか?

 この言葉は、例の「嫌悪感を催すシーン」でも口にされるセリフである。おそらくこの言葉の意味を理解できれば、あの「嫌悪感を催すシーン」もまた別の容貌を私たちに見せてくれることだろう。



参考

「『セデック・バレ 太陽旗』のクライマックスでの日本人教師に対する蜂起先住民の少年達の行動は、「君が代少年」美談―皇国に生命を捧げるか弱く従順な植民地の子供―への強烈なカウンターだった、のだが、惜しむらくは第一部で主人公側がやりたいことを大体やり尽くしてしまうように見える点」(HWAshitani: at: 2012/03/14 22:36:29  )

→大阪アジア映画祭で完全版を見た人の感想ツイート(例のシーンにも肯定的)。インターナショナル版ではカットされたシーンだったから、何のことか最初はわからなかった。

「「セデック・バレ インターナショナル版」見終わった。オリジナル全二部4時間半強を、2時間半に編集した短縮版。うーん、これは…ひょっとしたら作品的完成度としては、こちらの短縮版の方が高いかも…。もちろん喪われたものは多いのだが、その分全体がスッキリとしたことは否めない感じ。(From: tagagen: at: 2012/05/17 11:24:15  )」

「その大きな要因として、まず一つ、オリジナル版第一部クライマックスの《血の禊ぎ》から、最も神経を逆撫でされる(であろう)シークエンスが丸々カットされていること。「うわぁ、これを描くか!」と驚嘆したシーンではあるのだが、それがないことによってセデック族への感情移入が比較的容易に。(From: tagagen: at: 2012/05/17 11:29:43)」

→インターナショナル版と完全版を両方見た人の感想ツイート。・・・・・・って言うか、本当にみんなあのシーン程度のことで(いや、映画のシーン的にはすばらしいのだけど)感情移入できなくなるの?

 

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