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2012年3月 7日 (水)

『金陵十三釵』感想

 映画『金陵十三釵』の感想です。あらすじ(完全ネタばれ)はこちら。


 さて、感想の前にこの映画の思い出(?)をば。「今年はなるべく映画館へ行こう」計画の一環として映画館で見たかったのですが、例によって上映期間中はひたすら忙しく、やっと時間が出来たらと思ったらうちの街で唯一やっていた映画館も最終日。しかも早朝にやっていたこともあって、着いた時には上映が始まって10分ほど過ぎていた。そして、映画館の人は言った。「もう上映始まっているから入れることはできない」・・・・・・・ええええええ!! んな殺生な!? 中国の映画館ってそうなの? 今まで遅れて入ったことないからわかんないけど、ちょっと遅れただけでもう見せてくれないの!? 最終日だよ?

 しかし、頼んでもどうしても入れてくれそうもない。落ち込む私に映画館の人はアドバイスをくれた。「ネットで見たら?」

 ・・・・・・・・・・・・いや、遅れたとはいえ金払って映画館で見ようとしている人にネットで見ろ、とは。って言うか映画館の人にまでネットで見ろと言われるとは思わなかったYO! 

 まあ、結局DVDを買ってみましたが。買ったDVDの調子が悪くてもう再生が難しくなっているので(キャプチャーするのも大変だった)、以下、一度見ただけの印象で感想書きます。


 以下、完全ネタばれとなります。また、とある掲示板にてmizuki-yu名義で書いたものを基礎に書いています。






作品のネック


 まず、私個人の好みで言えばこの映画はハズレです。


 作品全体のネックは、この映画が南京事件(虐殺だけでなく強姦や掠奪も多発したのでこの呼称を用います)を背景にしなければいけない必然性がまったく感じられなかったからです。なんていうか、「災害ユートピア」ものに近いものがありますね。

 ・・・・・・ある意味、人間の絆を感動的に描くために、ナチスのユダヤ人虐殺を背景にしてしまうフィクションのはらみ持つ問題に通じるものがあるんじゃないかと思います。歴史的な惨劇を「感動」の材料として消費してしまうこと・・・・・・私も歴史同人などやっているのでこの問題は人事じゃないというか・・・・・・


 次に展開上のネック、というか嫌悪感を感じた箇所。この映画では娼婦たちがキーパーソンとなるのですが、後半の「娼婦たちのような底辺の女こそ最も気高く英雄と呼ぶべき存在である」とでも言わんばかりの展開、そして「悲惨な選択を引き受けながら努めて明るくふるまう」という演出・描写は、あまりの一種の逆向きのジェンダーバイアス(「娼婦=聖女」)がだだ漏れで、唖然としてしまいました。

 いや、そういう「娼婦=聖女」観って結局のところ「娼婦=卑しい女」という感覚とコインの裏表というか、どちらも「買う側」にとって都合の良い妄想なんじゃないでしょうか? 「買う側」は娼婦の身体を自由にするだけでなく、彼女らを聖女と崇めることで、その個人の人格までも思うままにしているだけなんじゃない? という疑問ぐらいは基本装備しとくのが昨今のクリエイターの教養だと思うが・・・・・・あまりにあからさまなジェンダーバイアスにこれはなにかの引っかけで実は深い意味があるのかと思ったほどです。


 あと、娼婦のヒロインとジョン(クリスチャン・ベール)の三文メロドラマも本気で勘弁してください。ぶっちゃけ、一部の感想ブログで後半が美しくて素晴らしいとか言っている人がいましたが・・・・・・大丈夫ですか?


 唯一見られたのは最後の最後で日本軍の元へ行くのをやっぱり嫌がって泣く娼婦を心を鬼にしたジョンがなだめて行かせてしまう場面が、一瞬ながら残酷極まりなく、ヒューマニズム(ジョンは映画中でその体現者と言える)や「神の前で人は平等」とはいったい何なのか、を考えさせる場面となり張芸謀の面目躍如といったところ。


 あと、日本兵の強姦を免れた女学生のヒロインが、よろよろと立ち上がろうとする場面は、弱き存在の中にある強靭さをあらわしているようで、なかなか見所のある場面です。そしてこのヒロイン「目力」がスゴイ! なんの意味があるんだかいまいちよくわからなかったけど、さすが張芸謀のヒロインって感じでした。(張芸謀のヒロインってなんか無意味に目力ありませんか?)

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光射すステンドグラスの下で弱々しくしかし確固たる意思で立ち上がる少女


 また、この作品は南京陥落の日に女学生と娼婦たちおよびクリスチャン・ベール演じるジョンがとある教会に避難し、そこで数日間をともに過ごすというのが話の骨子になります。こういう設定ですから映画の9割近くが教会とその周辺だけで展開され、登場人物たちはもちろん観客もいったい教会の外の世界(南京の街)がどうなっているのかは全くと言っていいほど描かれません。

 このあたりも私には南京事件を題材にする必然性が無いと思った理由の一つですが、某掲示版にて「当時の一般人にしてみれば街を自由に歩くことができなかったんだからそれはそれでリアリティがあるのではないか?」と指摘され、なるほどと思いました。

 そういう意味で言えばこちらの映評で安全な教会から抜け出して妓楼に戻る(そして日本兵に捕まって輪姦され殺害される)娼婦の行為をリアリティが無いと批判していましたが、全体像を把握できない、そして客観的な判断ができない当時の現場に生きた人の行為と思えばそう無理がない展開と言えるかもしれません(ちなみにこの映評自体は素晴らしいものです、私の感想見るよりリンク先の評を見た方がいいでしょう)。




日本軍は性暴力を裁くことができるか?


 こういう設定ですので住民や捕虜虐殺なども描かれることなく、日本軍の暴力は性暴力に焦点化されて描かれます。

 映画の中盤でも教会を捜索に来た日本兵たちに女学生たちが見つかって危うく強姦されそうになる場面があり、そこでの日本兵は若い女を見て大喜びで追いかけ回す野獣のように描かれてはいました。


 とりあえず李教官(後述)の活躍により女学生たちは強姦を免れましたが、騒動を知って長谷川という大佐が教会に訪れ、兵士たちの乱暴狼藉を謝罪し二度とこういうことを起こさないよう約束します。ジョンも長谷川の礼儀正しさに好感を覚えます。

 一見するとこの長谷川という日本軍将校は、昨今の中国の抗日ドラマなどで流行りの「良心的日本軍人」という奴です。「日本人がすべて悪いわけではない」ということを表現するため、抗日ドラマではこういう日本軍人が登場することがけっこうよくあります。それらはたいていそれなりにひねりが加えられており説得力があるのですが、この長谷川大佐の場合、まるで「とってつけたような」良心的日本軍人として出されました。いや、こんな「とってつけたような」「ステレオタイプ」な「良心的日本人」などむしろ出さないほうがいい、と私なんかは思います。日本のネット上では抗日ドラマの日本兵が「ステレオタイプな悪人」に描かれていることを批判する人もいますが、そういう人たちはこういう「ステレオタイプな良心的日本兵」には特に異論はないのか疑問です。


 しかし、この長谷川大佐、単なる「日本人がすべて悪いわけじゃないんだよ」要員ではありませんでした。前述の映評では彼のことを「教養あるインテリ将校の人道主義精神とその限界」を表現する人物」であると評しており、またこちらでは「劇中で日本軍は敵役となるが、渡部が演じる上官は、部下の非礼を詫び、音楽を愛する紳士的な日本人として描かれている」などと紹介されていますが、私はもっと陰惨なものを感じました。

 後半で明らかになりますが、長谷川大佐は映画の中で(それが彼の本意ではないことは明示されながらも)女学生たちを慰安婦とする計画に関わります。ここで重要なのは、兵士たちの強姦未遂という事態を憂い謝罪するような礼儀正しく理性があり良心的な心の持ち主であるこの大佐の方が、むしろ非理性的で野獣のように女を襲おうとする兵士たちの個人的犯罪よりも、日本軍という組織の中にあって恐ろしいことをやっているのではないか、という問いです。これは日本軍という組織は果たして個々の兵士の性暴力を裁く資格を根源的に有しているのか、という問いに繋がるのではないかと思います。

 ジェンダーバイアスに満ち溢れた娼婦像を描いた製作者が、果たしてこういう問いを想定して映画を作ったかはかなり疑問ですが、観客として作品と向き合う時、監督の想定を超えるものを見出しても良いのではないかと思います。


 日本軍の慰安婦制度は、南京で強姦が多発した事態を受けて、占領地の民衆の反感を買わないため&兵士を性病から守るためのもの(侵略戦争を円滑遂行するため、とも言える)に整えられたものでした。言わば秩序無き性暴力(強姦)から秩序ある性暴力(慰安所)へ。中盤の野獣のような日本兵は前者の象徴であり、後半の理性的な長谷川大佐は後者の象徴とも言っていいかもしれません。実際には慰安所の存在がその後の日中戦争での強姦に拍車をかけたという説(『黄土の村の性暴力』石田米子/創土社、他)や慰安所に通う金ほしさに抗日根拠地で略奪を行われたこともあったという証言(『ある日本兵の二つの戦場』(内海愛子他/社会評論社)などがあるわけですが。

 そういう意味で長谷川が「理性的な知識人」という人物像であることも含蓄に富んでいます。彼はそのような人間であるがゆえに組織の決定に根本的な所で逆らうことができず、またその組織なりの合理性(強姦防止)を認めてしまっているのではないか、とも思えます。慰安婦という形での性暴力は、教養もあり学歴もあったであろう軍上層部によって立案された史実と絡めれてそう思います。ずっと昔に辺見庸という作家がどこかで言っていましたが、理性的な組織が野獣のような個人より狂気に犯されていない、とは言えないのですよね。





李教官祭り

※以下、読者完全置き去りで(私が)暴走しています。腐女子的な表現もあります。 



 さて、以下、なぜか方々で無視されているものの私の中で高ポイントだった李教官語りを。


 このブログで延々と紹介している『狙撃手』にて主人公竜紹鉄を演じた[イ冬]大為が、再び国民党軍人を演じると聞いてクリスチャン・ベールよりはるかに期待していました。実は彼は『狙撃手』の時、愛国趣味の人たちからさんざん叩かれていたからです。「軍人のくせに惰弱すぎる」「中国軍人の面汚し」ってね。

 「惰弱な中国軍人」に対するあの時の中国ネット民の拒否反応は相当なものがあり、張芸謀監督がその騒ぎを知らないはずはありません。しかし、張芸謀監督はあえて[イ冬]大為を国民党軍人に起用した・・・・・・いったい監督の意図は何か? 今度はどんな軍人を演じるのか、と『狙撃手』ファンとしては期待しないわけには行きません。


 で、↓が『金陵十三釵』で李教官を演じた[イ冬]大為。

15_3

 ・・・・・・って竜紹鉄in南京かよ!!!???

B12_2

(参考)↑『狙撃手』の[イ冬]大為演じる竜紹鉄


 いやぁ、やっぱり同じ役者が演じるんだから外見が似た印象になるのは当たり前だよ~、とも思いますが、映画が進むにつれて明らかになってきた李教官の設定は、

 国民党軍将校+天才的な狙撃の名手+無口無表情+ボソボソ喋り+自分を残して部下が全滅+孤高の戦士+血まみれ泥まみれな姿が異様に映える+子どもには優しい

 で、『狙撃手』の竜紹鉄の設定。

 国民党軍将校+天才的な狙撃の名手+無口無表情+ボソボソ喋り+自分を残して部下が全滅(複数回)+孤高の戦士+血まみれ泥まみれな姿が異様に映える+子どもには優しい+敵味方男女関係なくモテまくる+孤独を愛するように見えるが本当はは他人に傷つけられるのが怖いだけ+しかもいったん心を許すと相手に依存的になる+実はかなり無神経etc

 どう見ても竜紹鉄です、本当にありがとうございました。

 子どもに優しい以降の設定は映画では描く余裕が無かっただけでしょう。実は「李」と言うのは偽名で、本名は竜紹鉄で、映画中で戦死したように見えますが、その後(主に人間関係の問題で)国民党各部隊でたらい回しにされた後、40年ごろには山西省の段旅長の部隊に落ち着いた、という話なんですねわかります。

 いや、『狙撃手』って監督(高希希監督)違うんですが・・・・・・まさか『狙撃手』の竜紹鉄キャラ設定丸パクリですか?

 『狙撃手』では竜紹鉄は「彼と一緒に任務に出た部下は生きて戻れない」と悪評が立って「死神」と部隊内で陰口をたたかれていましたが、・・・・・・『金陵十三釵』でもしっかり部下が全滅して一人生き残っているね、37年の時からそれじゃそりゃ悪評もたつわ。 『金陵十三釵』にて日本兵たちが「狙撃手がいるぞ!」って叫ぶ場面では、「竜紹鉄!!」と笑いながら叫び出しそうでした、映画館で見なくてよかった。って言うか、君らじゃ無理だ、芥川君@『狙撃手』呼んでこい。にしても『金陵十三釵』ではちゃんと狙撃手やれてよかったね、『狙撃手』じゃ狙撃手なのにちっとも狙撃手の仕事させてもらえなかったし。


 それにしても、竜紹鉄といい、李教官といい[イ冬]大為は本当に国民党軍服着て血まみれになる姿が美しすぎる。『狙撃手』では人間的な弱さが前面に出て(そこがいいのだが)あまりそういう感じがしなかったが、今回の李教官はなんか「暴力と美」の化身のような感じがしてゾクゾクした。ぶっちゃけ、ヒロインの娼婦よりもこの李教官の方が何倍も美しいと思うのは私が腐女子だからというわけでは・・・・・・あるかもしれないが。

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 『狙撃手』でのやや簡素な感じの軍服もなかなかエロくて良かったけど、今回は軍服の上にコートをまとって走り回るシーンもこれはこれで最高だ。

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 さて、いくつかの映画感想シーンを見ると竜紹鉄・・・・・・もとい李教官の戦闘シーンは映画の中で浮いており不要という意見もあったが・・・・・・ちげぇよ! クリスチャン・ベールと娼婦たちのストーリーが要らないんだよ!! いや、それが話の本筋なのはわかっているが・・・・・・ぶっちゃけあんなどうしようもないメロドラマ展開するくらいなら、もう李教官の「一人ぼっちの戦争」をメインストーリーにした方が映画として断然良かったと思う。実際、李教官が活躍していた前半は緊迫感もあってすごく良かったけど、退場してからはグダグダになったし・・・・・・

 また、李教官の一騎当千な活躍ぶりとその前の彼の部下たちの「英雄的犠牲」は、「中国軍人の勇敢さ、英雄精神を描くあからさまなプロパガンダ」という批判はよく見かける。まあ、その側面は否定しない。特に映画冒頭で逃げる女学生たちを守るため、戦車に対抗するため彼の部下たちが爆弾を抱えてカミカゼアタック(中国の戦争ドラマではよくあるパターン)を決行しまくるシーンはそういうシーンを見慣れた私でもドン引きするレベルだった。なにしろ爆弾を巻いた兵士を戦車に近づかせるために、何人もの兵士が人間の盾になり一人一人日本軍の的になりながら前進するのだから引くわ~。


 ただ、その後一人残された李教官の戦いは、現象的には「女学生を守る」(そして瀕死の少年兵を暖かな場所で死なせてやりたいという願いのため)というものだったけど、根本的には彼の妄執に基づく個人プレーと言うべき感じを受けた。一人生き残ってしまったあとの「昏い目」([イ冬]大為は本当にこういう目が似合う)をした彼は、まさしく「死神」とも言うべき不吉な雰囲気をまとっていた。

 彼女らを守って死んでいった部下たちの死を無駄にしないため、唯一生き残った瀕死の少年兵に安らかな死に場所を与えてやるため、李教官はたった一人で外で教会を守る。死神にして守護者。彼は他人のいかなる評価も必要としていない。ただやるべきことを淡々とやる。時として手段は問わない。

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映画イメージ写真。教会を守る死神、って感じ


 なかなか皮肉が利いているな、と思ったのは教会に日本兵が押し入った時のジョン(クリスチャン・ベール)と李教官の対照的な反応。金と娼婦目当てで教会に居座っていたダメ人間なジョンは、女学生の危機に義侠心に火がついて神父を名乗り赤十字の旗を掲げ人道主義を口にして日本兵の蛮行を止めようとした。しかし、その赤十字の旗は切り裂かれ考えなしに飛び出したジョンは殴り倒されただけだった。

 その頃、李教官は何をやっていた。教会の周りに周到に手榴弾を配し罠を張っていたのである。彼は女学生が追われているのをしばし放置し、戦いの準備をしていたのである。李教官だとて女学生を守ることは(妄執ともいえるほど)至上命題ではあった。ただ何の準備も無く教会に飛び込んでも何の益にもならず、女学生を助けことにもならないこともわかっていたのだろう。彼にしてみれば、少々女学生に怖い思いをさせても最終的に救うという結果を優先したのであり、実際その合理的な判断は女学生を救った。

 つまり女学生を救ったのはジョンの義侠心でも人道主義でも無く、李教官の冷徹な判断と日本軍とは逆のしかし圧倒的な「暴力」だったのである。


 その後の李教官と多数の日本兵たちの戦いもまたゾクゾクものだった。多数の敵を相手にして李教官は冷静極まりなかった、異様と言えるほどに。彼は配置してあった手榴弾の罠を利用し、最大限の効率で黙々と敵を殺していく。

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 ↑は日本軍に追い詰められながら、指折りでカウントすることで時間をはかり敵の動きを把握する様子。

 そしてその罠とは自らの死さえも計算に入れたものだった。それは彼の部下がやったような今まさに弾が飛び交う戦場における異様な精神状態の中で行った自爆攻撃とは違う。あの罠が戦いの場で思いついたものとは思えないからおそらく一晩かけて考えていたんだろう。・・・・・・いや、それなりに落ち着いて考えられる環境下で自分の死をも組み入れた罠を淡々と考えているってそれもまた一種の狂気ではなかろうか?

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ただ一人、戦いの時を待つ李教官


 映画の冒頭で、李教官はただ国民党軍の一エリート士官といった感じだけだった。あんな昏い目はしていなかった。それが戦争のごく短い時間であのような「冷たい狂気」をまとい、敵を殲滅する戦闘マシーンのようになってしまった、ってのは充分主題として描いていいと思うけどねぇ。なんでその「一人ぼっちの戦争」を掘り下げなかったんだか。

Photo

映画冒頭で部下に特攻を命じる李教官。この時の目にまだ「妄執」はない


 ・・・・・・って以上の竜紹・・・・・・李教官擁護はべつに私が「国民党軍服で血まれになる[イ冬]大為はやはり最高に美しい」説の持ち主だからでは・・・・・・たぶんない。


 最後に一枚。

Photo_2

 やべぇ、萌える。

 追記

 ところで一部の感想ブログで「なんで今さらこんなことを描かないといけないんだ」的な感想を見かけたが、最近の某名古屋市長の否定論とそれに対する発言擁護の動きを見ると私なんかは「いや、まだまだ描きたりないんじゃね?」としか思わないけどね。

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コメント

はじめまして。
ちょっと調べ物をしていてこちらのブログにたどりつきました。

もともと抗日ドラマ・映画は苦手なんです。張芸謀監督の作品も好きなのと嫌いなのがもうこれは本当に同じ監督の作品なのかというくらい差があって。一番好きなのは“一个都不能少”だったりしますし。

でもこの作品、このレビューで観てみようかしらと思いはじめたのは、李教官の存在でしょうか・・・気になります。

ナナさん

 こんにちは、このような僻地のブログにコメントどうもありがとうございました!
 ここのところ全くブログを確認する時間もなかったので、公開&ご返信が遅れてすみません。まだここをごらんになっていますでしょうか?

 個人的には、『金陵十三釵』は一本の映画作品としていい出来とはとても言えないのですが、それでもレビューを見て少しでも観る気を起こしていただけたなら、こういうブログの運営者として嬉しい限りです。日本で上映される可能性は薄いですが、DVDなどで観る機会がありましたらぜひどうぞ。DVDは英語字幕設定もできます。

 李教官については・・・まあ私の場合、大好きな中国ドラマ『狙撃手』(これも抗日ドラマ)の主役と同じ役者というのみならずキャラ設定までかぶってたので通常より二倍以上楽しめたという点もあり、何かと評価や萌えが底上げされてこんなレビューとなりました(笑)。しかも李教官の存在って、多くのレビューで忘れ去られているのが可哀そうでちょっと気合を入れて書いてみました。

 張芸謀作品は確かに作品によって雰囲気や出来が全く違いますね・・・ちなみに『一个都不能少』は私も同監督作品で二番目に好きです。一番は『我的父親母親 (初恋の来た道)』。それから監督作品ではないのですが、撮影に参加した『黄色い大地』(陳凱歌監督)は中国映画で一番好きな作品です。

 それでは、最近更新が遅いですが、よろしければまた当ブログに遊びに来てくださいませ。

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