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2012年3月

2012年3月17日 (土)

第三回金箒賞(最も失望させられた映画)が発表

 3月3日、去年に引き続いて今年の金箒賞が発表されたようです。

 この映画賞は中国版ラジー賞とも言われ、中国語映画(香港・台湾含む)の中から最も失望された映画や監督、俳優を選ぶというもの。栄えある受賞監督・俳優にはそうじに便利なホウキが授与されます。


 ・・・・・・・・・・・・しかし、せっかくの受賞式なのに去年と同じで会場にはノミネート監督や俳優は誰も来なかったとのことで、おそらくホウキは去年と同じく郵送で受賞者に贈られることでしょう。

 中国ネットの報道記事はこちらこちら




最も失望させられた作品部門



『战国』(『戦国』)、《杨门女将之军令如山》(『楊門女将軍之軍令如山』)、《关云长》(『関雲長』)


 となりました。どれも古装劇(近代以前が舞台の歴史劇)のようです。

 ちなみにブログ主はどれも見ていません。なので本来何とも言うことはできないのですのが、まあ何となく順当な結果かなぁ~と思います。にしても映画にタイトルが重要なのはわかりますが、『楊家女将軍の軍令は山のごとく(絶対)』って・・・・・・あまりにタイトルで説明しすぎるのもどうかと・・・・・・昨今の日本のライトノベルかい?(ちなみに楊家とは北宋時代に活躍した武門の一家で特に女将軍が多いことで有名。『楊家将』という古典文学の題材)。

 他にノミネートしたのは。『桃姐』『钢的琴』(『鋼のピアノ』)『赛德克·巴莱』(『セデック・バレ』)『最爱』『HELLO树先生』(『HELLO樹先生』)『郎在对门唱山歌』(『朗在対門唱山歌』)『夺命金』(『奪命金』)『那些年我们一起追的女孩』(『那些年我們一起追的女孩』)『星空』(『星空』)など。

 まあともかく「失望させられた」と言われることは、それなりに期待されていたことでもあり、また多くの人に見られた作品とも言えるのでしょう。

 一方で、これらのノミネート作はネット投票で選ばれるようですが、中国大陸では未上映の台湾映画『セデック・バレ』(日本植民地時代の抗日蜂起・霧社事件を描いた)がノミネートされていることに疑問の声もあるようです(見てないのにどうやって失望するのか?)。確かこの映画、台湾と中国大陸のネットユーザ間で論争になっていたような・・・・・・。

 ちょっと話はずれますが、この『セデック・バレ』、つい先日大阪アジア映画祭で上映され、見た人の反応を調べてみるとなかなか好評なもよう。上映が決まった時からかなり話題でしたものね。


 で、『建党偉業』がノミネートされなかったわけを考えてみると

  1. 期待はずれではなかった
  2. 期待していなかったので失望もしなかった
  3. 存在を忘れられた

・・・・・・個人的には「1」であってほしいですね。



審査員特別賞


『金陵十三釵』

 南京事件を描き昨年興行成績№1の作品(監督:張芸謀)が審査員からほうきを贈られてしまいました。これには審査員の個人的感情があるとかないとか書かれていますが、よくわかりませんでした・・・・・・。



最も失望させられた監督賞


高暁松(『大武生』 )陳勛奇(『楊門女将之軍令如山』)

 う~む、この二人のことは(も)よく知らないのでパス。

 ちなみに最も失望させられた俳優賞も可哀そうなのでパスします。



最も失望させられたアニメ映画
 


『西柏坡』

 ・・・・・・う~ん、「西柏坡」と言えば(中国人以外は)知る人ぞ知る革命聖地の一つ。解放戦争時代に延安を撤退した毛沢東ら共産党中央が新たに拠点をかまえ、解放戦争(第二次国共内戦)を指揮した場所です。で、こんなタイトルだからまず間違いなく革命時代の故事を使って子どもたちの愛国・愛党精神を涵養する、というアニメなのでしょう。

 ・・・・・・・と思って中国のネット百科・百度百科で調べたら案の定だった、しかも絵もあんまりな出来だった(今は50年代かよ)。納得の受賞結果である。・・・・・・ってみんなこれ失望する前提として期待してたのかよ!?



 さて、だいたい主な賞は以上の結果となったわけですが、冒頭でも書いた通り、3年連続で受賞会場に受賞者が現れなかったというわけで、ホウキは今年も郵送されます。この「わざわざ郵送で送りつける」という話を聞いた時はその性格の悪さに思わず感心したものですが、しかしさすが中国の映画監督たちも負けてはいません。

 去年のことですが、こちらで紹介されていた受賞監督たちの反応はなかなかのもの。

面白いのは受賞を知った馮小剛監督の反応で、受賞に怒るどころか、「なんで自分の単独受賞じゃないんだ。審査委員は優柔不断すぎるじゃないか」と文句を言い、「いっそのこと永世金の箒賞も取りたいものだ」と続けて、『非2』の脚本を書いた王朔も、今後はぜひ金の箒脚本賞も設けて欲しい、自分が映画の脚本を書いた年は必ず受賞したいと言ってると
わざわざ選出委員の1人に電話したという。
このユーモアがいかにも馮小剛と王朔らしい。
これに対して程青松は、「悪いけど1本に絞るのなら『大笑江湖』であって、『非2』ではないよ」と、こちらもユーモアある応酬。

 いやいや、中国の映画監督ってひねくれているというかいい性格をしている人が多いと思っていたけど、やっぱりというか、こういう点がすばらしい。少なくとも日本の映画監督でこんな賞をもらってこんなコメントを余裕で言える人が何人いるかというとあんまりイメージできないのだけどね。

2012年3月16日 (金)

『鉄道遊撃隊』13話再始動 14話客車の戦い あらすじ

13話あらすじ

※赤=鉄道遊撃隊、緑=日本軍、傀儡軍、青=その他


 魯漢李正に対しても暴力を振るおうとしたことに劉洪は激怒し、彼は痛い目に遭わないとわからない、と棍棒を持って魯漢を追い回す。しかし李正は劉洪を止め、このような家父長主義的なやり方で皆を従わせようとしてはいけない、と諭す。

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棍棒を持って魯漢を追い回す劉洪

 魯漢は李正の説得によって地主らも自主的に武器を提供したのを見て、李正に謝罪しに行く。魯漢は自分の粗忽さにはほとほと嫌になると嘆くが、李正は毛沢東の「間違いを犯した同志も良い同志である」という言葉を用いて、欠点は改善できると励ます。魯漢は共産党に入党したいと言い、李正はそれを歓迎する。

 一方、藍妮彭亮棗庄からいなくなったと兄の李九から知らされる。再び田六子から言い寄られるようになるが、彭亮を探すため旅に出る。

 劉洪と李正は日本軍の抗日根拠地掃蕩作戦をかく乱するため、日本軍が乗る客車を襲い彼らを殺害する作戦を立てる。一般の中国人乗客の目の前で戦えば、宣伝効果も大いにある。芳林嫂は偵察の役を買って出て、客車の日本兵の様子を観察してくる。李正らは攻撃と連動して日本軍支配下の臨城に抗日のビラを大量に張り、日本軍をさらに動揺させようと計画する。危険すぎるという劉洪を振り切って、芳林嫂はその役目も引き受ける。

 決行当日、芳林嫂は焼餅(小麦粉を焼いて作る中国風クレープ)売りのふりをして臨城に。その焼餅の中には大量に抗日宣伝ビラが隠されていた。

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焼餅の中に抗日宣伝ビラを隠す芳林嫂

王強魯漢小坡林忠黄喜二はそれぞれ武器を巧みに隠し、一般乗客として客車に乗り込む。

 偶然、その同じ列車に藍妮も乗り込み、そしてホームには二人の日本人女性・従軍記者の美恵子と女学生の櫻子がいた。美恵子は駅の日本兵らの制止を振り切って列車に飛び乗り、藍妮はなりゆきから彼女を助ける。美恵子は自由に取材するため、日本軍の監視下から逃げるチャンスをずっと狙っていたのだという。

 王強らは、それぞれ「担当」とする日本兵の乗客を決め、親しげに彼らに近づく。王強と魯漢は日本兵に酒と食事を勧め、林忠と黄喜二は手品を見せて彼らの気をひく。得意の琵琶を演奏していた小坡の所には、その音に誘われて一人の少年兵がやってくる。他の中国人乗客たちは日本兵と親しげに接する彼らに眉をひそめる。藍妮と美恵子は小坡を見つけて近づき、小坡は怪しまれないために藍妮と恋人同士のふりをする。

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日本兵に取り入る王強らにあきれる中国人乗客




第14話あらすじ
 


 線路の脇に潜んでいた劉洪彭亮はやって来た列車に飛び乗り、運転士を倒す。代わりに列車を運転する彭亮は計画通り次の停車駅で停車させず走り去らせる。知らせを受けた棗庄岡村は部隊を出動させる。

 駅から充分離れたところで、劉洪は行動開始の合図を放ち、王強ら客車に乗り込んでいたメンバーはいっせいに目の前の日本兵を襲う。

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客車の中で戦う林忠

自分の担当を倒し、他の車両から駆けつけた日本兵らとも死闘を繰り広げる王強たち。しかし小坡少年兵の激しい抵抗にあって苦戦し、他の車両から日本兵に駆けつけられるが、藍妮が縄術を駆使して彼らを倒す。

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隊員たちの戦いを縄術で支援する藍妮

 王強らがあらかたの日本兵を片付けたところで列車は停止し、待機していた李正率いる部隊が列車を占拠する。李正はいまだ少年兵ともみ合っている小坡の元へ駆けつけ、少年兵を射殺しようとするが美恵子が間に入ってかばい、彼を投降させてくれるよう必死で頼む。李正は少年兵を捕虜として確保する。美恵子は彼らが日本兵を襲撃したことを李正に抗議するが、李正は日本が中国を侵略しているという現実に目を向けるよう反論する。

 李正らは乗り合わせていた一般中国人乗客を集め、自分達が「鉄道遊撃隊」であり抗日のために戦うことを皆に知らしめる。

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民衆の前で自分達の戦いの目的を宣言する鉄道遊撃隊

美恵子は少年兵と話し、彼の名前が田中で故郷に母と兄嫁がおり、兄はすでに中国で戦死していることを知る。

 そこに岡村の部隊が到着し、劉洪らは乗客らが安全なところに逃げるまで彼らと応戦する。美恵子は捕虜として連行される山田を心配し、強引に鉄道遊撃隊についていく。彭亮は混乱の中で行方のわからなくなった藍妮を心配し、劉洪の制止を振り切って探しに行ってしまう。

 まんまと鉄道遊撃隊に逃げられた岡村は、列車の中を探すが美恵子の行方はつかめなかった。実は山東省一帯の日本軍のトップである山本将軍の姪である美恵子の行方を皆は案じる。また列車襲撃と時を同じくして、臨城で大量の抗日ビラが貼られたことから、日本軍は北山の八路軍正規軍がいつのまにか包囲を突破して今回に襲撃を起こしたのではないかと疑い、そうであれば八路軍の根拠地の包囲を解いて部隊の配置を換えなければならないと考える。

 棗庄の特務隊長・張三は、副隊長・二牛の愛人が美人だと知り、ある夜二牛に夜勤を命じて彼の愛人を奪ってしまう。愛人も張三に乗り換えたことを知り激怒する二牛だが、張三にこてんぱんにされてしまう。張三は例の列車襲撃がやはり鉄道遊撃隊のしわざと調べ、岡村は捜査の強化を命じる。

 再び彭亮を探す旅に出た藍妮は特務隊に見つかり、抵抗するものの多勢に無勢で捕まってしまう。藍妮は特務隊の牢獄に囚われ、張三の愛人になるよう迫られる。

 

 

2012年3月12日 (月)

最近見たドラマ

 まあ、「最近放送されたドラマ」ではないのだけど。長々としたレヴューばかりでは、中国(抗日・革命)ドラマの世界を伝えきれないので、時々簡単な感想を書こうと思う。



『解放』17話

 建国60周年記念で作られたその名の通り解放戦争(第二次国共内戦)を全面的に描いた長編ドラマ。何しろ全50話もありやがる。

 で、オリジナル人物主体ではなく、歴史上の実在人物が主体なので、そのようなドラマの例に漏れずあんまりおもしろくないのだけど、山東省孟良崗の戦いを描いた17話周辺はまあおもしろかった。戦闘そのものも解放軍が死中に活を求める作戦で劣勢な状況を逆転させていく状況も緊迫していておもしろかったし、敵の国民党軍の将軍は蒋介石の愛将で、もう完全に解放軍に追い詰められていく中で蒋介石が食糧や物資を空輸で落としていってくれるんだけど、その中に勲賞が入っていてそれを見た国民党軍将軍が静かに目を閉じて「あなたの恩に感謝します」って言うシーンがなかなか良かった。

 が、この話のさらなる高ポイントはそこじゃないんだよ。解放軍の勝利の女神・粟裕(注:粟裕は男です)だよ、粟裕!! 彼がもう可愛いのなんの。

 おっとりとちょっと冴えない顔してるくせに、指揮官やらしたら凶悪なまでに強い戦術の天才というどこぞのヤン・ウェンリーのようなキャラで、不眠不休で各部隊に指示を出し続けていた姿も可愛かった(←形容詞がおかしい)のだけど、圧倒的不利な状況を逆転させ兵士達が喜びの声を上げるのを聞きながら糸が切れたようにパッタリと机に突っ伏しそのまま即寝してしまう描写がもうもう可愛くて可愛くて・・・・・・さすがキャラ萌えとは何かをわかっている革命萌え作家・王朝柱監督!という感じで最高だった。

Photo

パタリと倒れる粟裕、この写真載せたくて書いたエントリー

 何と言うか、精魂尽き果てたというより、魂を削るように戦っているんだなぁ、それが粟裕という天才のタイプなんだなぁ、というのが伝わってくる。個人的にはそういう魂削るタイプ(またはトリップタイプ)の天才は林彪で、粟裕はもっと堅実な安定型天才だと思うのだけど、劉鑑演じる粟裕ならこれでもいいや。

 あと、陳毅と粟裕の夫婦ぶりもすごかったけど、それは閲覧制限をかけられる別ブログで語ることにする。


 で、その林彪の東北での戦いもこの回までスルーされまくっていたけど、孟良崗の戦いも終わってどうやら次は東北の戦いがクローズアップされる模様。で、東北の情勢(と言うより林彪)を周恩来と分析する毛沢東の言葉。

「私は林彪の戦争の実力については何も心配していない。ただ彼は主観的でプライドが高すぎる面があり、自分と異なる意見を聞き入れようとはしない点が心配だ」

 うんうん、そうだよね。よくわかってらっしゃる。謙虚で人当たりがよく、進んで他人の意見を聞く粟裕とはこのあたりまた逆なんだと思う(でも林彪は粟裕とはうまくいくと思う。軍人として才能を認めている相手の意見は素直に聞きそうだと思うんだよね)



※王朝柱監督:革命長編もの専門のドラマ脚本家。代表作に『延安頌』『長征』『八路軍』など。毛沢東などを革命指導者をキャラ萌えという観点から描き、革命ドラマに革命をもたらした人(と私が勝手に言っている)。歴史上の人物を魅力的に描くことについての腕はすばらしいが、どうもオリジナル人物を描くのは苦手なようだ。『解放』『八路軍』でも(革命に協力する民衆や一兵士など)オリジナル人物の描写はかなりグダグダだった。



『小姨多鶴』

 中国残留女性・多鶴と彼女を第二夫人として迎えたある農民一家の運命を描く。ほうぼうで評判が高いドラマで私も3話まで見たけど・・・・・・う~ん確かにとても出来の良いドラマだと思うけどいまいち個人的には乗れないんだよね・・・・・・子どもを生めないために第二夫人を迎えなければならない第一夫人の心の葛藤とか、善良かつエゴむき出しの老夫婦とか人間の描き方も本当に素晴らしいのだけどね。まだ3話では物語がちゃんと動いていない感じ。

 ところでこのドラマは同名小説を原作にしているんだけど、その作者で在米中国人女性作家の厳歌岺って『金陵十三』の原作者でもあるそうだ。

2012年3月 8日 (木)

『鉄道遊撃隊』10話~12話 感想

 うおおおおおお、先日見た『鉄道遊撃隊』30話燃えるわぁぁーーー!! おもしれぇぇぇ!!!  『鉄道遊撃隊』はどの回も安定しておもしろいけど、この30話は特に神回。

 鉄道遊撃隊の根拠地・微山湖の島に押し寄せる日本軍の大軍! 南ベトナム解放戦線ばりのトラップと工夫をこらした武器でそれを三度まで撃退する鉄道遊撃隊! だけどいい加減兵力の差で疲れてきて次の攻撃は乗り切れるかちょっと心配な隊員の面々、と、そこで小坡が歌いだす『弾起我心愛的土琵琶(愛する琵琶をつま弾いて)』!! その歌声に元気づけられ、立ち上がって悲観的な雰囲気を吹き飛ばし「日本軍の最後の日は近い」と歌いだす隊員たち。しかぁし! 日本軍は「日が沈む前にいかなる犠牲を払っても微山湖を落とせ」との命令に最後の総攻撃を開始! 圧倒的火力差の前についに鉄道遊撃隊の防衛線は崩れ撤退を余儀なくされる、しかしそうはいってもすでに日本軍に包囲されてしまっている、いったいどうすれば!? そこで元日本兵、今は反戦同盟かつ同遊撃隊の隊員でもある田中が満を持しての大活躍!!  日本語を使って日本軍を騙し、みごと日本軍の眼前での鉄道遊撃隊微山湖脱出を成功させる!! 原作でも簡単な日本語を使える隊員が日本兵を騙していたが、今回は日本語ネイティブの人物(日本人だし)田中君を使うことでよりリアリティと緊迫感あるシーンとなった。くぅぅぅ、お姉さんは君の活躍を待っていた!!30話冒頭から田中君を目立たせていたので、原作既読者としてはそういう展開になるだろう(って言うか田中君が反戦同盟になった15話あたりからそういう展開になるかと思っていた)と思っていたらやっぱりそういう展開になった時のカタルシスはひとしおである。

 さて、30話語りはここまでにして、ここでの紹介はまだ10話~12話です(汗)。

 今回の最大の見所と言えば劉洪VS山口大佐の超人バトル!



君はあの人外魔境バトルを見たか!? 


 切れ者山口大佐に抗日組織の隠れ蓑ではないかと疑われる「義和炭廠」。洋行の金山を免職にし着々と証拠を集めていく山口大佐! 対する鉄道遊撃隊一の司令塔・李正は、先手必勝とばかりに証拠が揃う前に山口大佐を亡き者にすることに! 

 ・・・・・・いやぁ、殺られる前に殺ってしまえとためらわず決断する、さすが李正様です、ガクガクブルブル・・・・・・しかもその方法が夜中に洋行に押し入って寝込みをヤッてくる、というこの前と同じと言うか、大丈夫ですかそんな単純な方法? って作戦です。


 ともかく、夜の闇にまぎれていつの間にか十数名に増えていた隊員たち(←本当にいつの間に増えたんだ?)は洋行に侵入。劉洪はザコの日本兵は隊員たちにまかせて山口大佐の部屋に向かったが、李正はどうしていたか? なんと純戦闘員とは言えない李正も今回ばかりは襲撃に参加、日本兵の一人を拳銃の背でめった打ちに殴打し倒れた所を後ろから馬乗りになって首を羽交い絞めにし一気に絞め殺す、もしかしたら首の骨を折ったのかもしれない・・・・・・ううう、いかにもおとなしくて温和そうな顔していてやる時は徹底的に容赦の無い李正様、やはりこの人を怒らせては絶対にいけない、ということがよくわかる場面でした。


 さて、それは置いておいて、一人部屋の山口大佐はすでに死装束・・・・・・じゃなくて真っ白い着物を着て眠っていた山口大佐は異変に気づいて飛び起きるが、その瞬間、劉洪が障子を破壊して部屋に入ってくる。暗闇の中、突然劉洪に懐中電灯の明かりを顔に当てられ、思わずまぶしさで目を腕で覆ってしまう山口大佐。しかし、すぐにキッと劉洪を睨みすえ傲然と言い放つ。

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「貴様、何奴!」

 それに対してやはり劉洪は堂々とした返答。

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「鉄道遊撃隊だ!」

 このあたりのテンポがものすごく良い。 


 ・・・・・・だが、この山口大佐、戦傷のためか片足が不自由で松葉杖が無ければ歩くことも出来ない身体という設定。いくら宿敵・特務の大物とはいえ遊撃隊最強の男が足の不自由な男を襲うのは絵的にどうよ? とか、そんな敵とバトルになってもおもしろくないんじゃない? と通常ならそんな疑問も起きるが、そんな心配はいらなかった。山口大佐と言う男は、歩けないくらいは何のハンデにもならないような男だったからだ!


 山口大佐は劉洪が襲いかかるより一瞬早く、おそらく痛めていない方の足でそばにあった小さな机を劉洪に向かって蹴り飛ばす。なんなくそれをよけた劉洪は刀を振り下ろすが、大佐はすばやく床を転がって攻撃をよけ・・・・・・片足で屏風を蹴りその反動でジャンプ! そのまま空中を回転しながら立てかけてあった松葉杖を掴みとる!!

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 ・・・・・・・・・・・・いや、ちょっと、寝転がっている状態からどうしたら片足だけで↑のような回転ジャンプが可能になるのか・・・・・・とツッコミを入れたかったが、すぐにそんなものは何の疑問でもなくなるような驚愕の展開に続きました。


 なんと山口大佐は二本の松葉杖を畳につきたてて再びジャンプし、襲ってくる劉洪の頭上を飛び越えて攻撃を回避したのだった! その瞬間をカメラは捉えた!

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 見よ! この白鳥が飛び立つがごとき美しき飛翔を・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、そんなバカなぁぁぁぁ!!!

 いやいや、この前に李九の一対多数での列車バトルに匹敵する超人バトル再びである。多少痛めて無いほうの足の力はあったかもしれないが、これは基本的に松葉杖を持つ腕の力だけで飛んでいるということに・・・・・・はっ!? これがもしかしてあの有名な「テコの原理」!?(←違う)。しかも劉洪の攻撃を避けつつ、天井に激突しない程度のなんとも見事な力加減!!


 ありえない方法で攻撃を回避された劉洪だが、さすが歴戦の戦士と言うべきか、今さっき起こった超常現象っぽい何かに動揺することもなく、青竜刀で切りかかる。その攻撃を木製の松葉杖で次々とさばく山口大佐! さすが日本製と言うべきか、メイドインチャイナな青竜刀の斬撃を受け止めても切れないらしい。しかも松葉杖を二本とも地面から離しているので、痛めて無い方の足一本だけで踏みとどまりながら剣戟を繰り広げているというわけである。

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 しかし山口大佐はついに松葉杖の一本を畳に突き立てる。さすがに足一本では支えられなくなったかと思ったが違った。なんと片足でジャンプし、その松葉杖を軸に駒のように空中で回転し劉洪の攻撃を避けたのである!! 見たままを書いているが、たぶん何のことか意味不明なので再現画像を↓

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 まあ、こんな感じです。一説によると現代中国の特殊部隊は棍棒で人喰い鮫の群れと一人で戦うことができるようなので(超強台風参照)、かつてアジア最強と言われた日本軍の大佐が↑のようなマネが出来たとしても何も不思議はない。


 しかし、この曲芸、あんまり意味が無かった。

 なぜなら、劉洪が青竜刀で駒の軸となっている松葉杖をぶった斬ってしまったからだ! ・・・・・・あ、一応斬ることができたんだ、松葉杖。さっき青竜刀の斬撃を受け止めていたからもしかして木製に見えるだけで実は鉄製なのかと思った。


 と、せっかくの曲芸があだとなり体勢を崩す山口大佐。しかしどういう原理からか場面が切り替わると体勢を立て直しており、片足だけで劉洪を追い詰めてふっとばし(このへん、もはやドラマ制作陣もどういう原理の攻撃なのか説明を諦めているっぽい)、倒れた劉洪に日本刀で襲いかかる! しかし、駆けつけた王強の助太刀でなんとか山口大佐の刺殺に成功!

・・・・・・ああ、こんな素晴らしい敵キャラを物語後半で殺してしまうとは、生きていればこれからどんな人外魔境な動きで鉄道遊撃隊の好敵手となっただろうに・・・・・・しかし、毎回こんな技を繰り出されては、このドラマが何のドラマかわからなくなるのでこれで良かったのかもしれない。 




金山さんの悲劇?


 さて、ちょっと超人バトルから離れて今回で退場になったもう一人の前半重要キャラ・金山について。

 まず最初に原作との違いを説明すると、ドラマ版の金山は原作ほど悪いことはしていないし、根もそこまで悪い人間では無いかのようになっている。原作では中国人の王強の前で、かつて現役軍人時代に捕まえた中国の農民を日本刀で試し切りしたことを得意になって話すような人間だったが、ドラマ版ではそのような描写はない。(最もドラマ版では全体的に日本軍の戦争犯罪はあまり描かれることはない。原作では従軍医師たちが捕虜を生体解剖した話や、彭亮の妹が強姦されかける場面があるが、ドラマではすべてカットされている)。


 そういうわけでドラマ版の金山にはそこまで悪い人間という印象は無い。もちろん中国人労働者にいばりちらし、時にはためらいもなく暴力も振るうが、基本的には金儲けが何より大切な小物という印象である。「大日本帝国のため」「大東亜共栄圏のため」というのはあくまで建前にすぎないのがよくわかる。金山の前任者もそういう人間ではあったが、それをもっとうまく糊塗し、収賄と流用を行いながら表向きはあくまで「忠実なる天皇陛下の臣民」を演じていた。

 金山はもっとあからさまだ。あるいは本音を建前で隠すことがうまくできなかった。そして仲の悪かった上司二人が抗日組織(劉洪たちね)に殺害されると、その死を悲しみ抗日組織への復讐を誓うどころか、自分の出世のチャンスとして密かにその事態を喜びさえする。一般の中国人労働者には傲慢な態度を取るが、「命の恩人」(実は自分を殺しかけた相手なのだが金山は知るよしもなし)で良い商売仲間と認めている王強に対しては好意を隠そうともせず、彼が憲兵隊に疑われるたびに身体を張って守ってやっている、まさしくそういう所を王強に利用されているとも知らずに。金山はもちろん善人ではないし、これはこれでタチの悪い人間ではあるが、どこか憎めない小悪党であった。


 しかし、その金山は山口大佐によって収賄と不正取引の疑いで洋行社長の座をなすすべもなく追われてしまう。元々、洋行は日本軍の特務組織的位置づけだったし(ちなみにたぶん金山はそのことを忘れ去ったかのように自分の金儲けに邁進していた)、日本のために棗庄の物資を収奪する機関だったわけだが、それでも経営陣に退役軍人を配するなど表向きはあくまで「民間」会社としての体裁を保っていた。しかし、それが山口大佐の乱暴な措置によって、あからさまに日本軍の直営会社とされてしまったのだ。金山は信頼していた憲兵の岡村の元に助けを求めてに行くが、かえって岡村も山口大佐と結託して自分の洋行追い出し=日本軍直営化にかんでいたことを知ってしまい愕然とする。

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山口大佐(左)の前では蛇ににらまれたカエル状態の金山(右)


 この一連の出来事から何が読み取れるか。金山は確かに洋行の中国人苦力にいばりちらしていたが、山口大佐の前には手も足もでない。金山は確かにタチの悪い人間ではあったが、そんなものは日本軍という組織をバックにした山口大佐や憲兵・岡村の力の前には何ほどのことも無い。本当に怖いのは個人的に人を2,3人殺した人間ではなく何万人の人間の運命を握る権力者である、と言う言葉を思い出すべきか。

 ただ自分のために己の欲望に忠実に金儲けに邁進していた金山は、「大日本帝国のため、大東亜共栄圏のため」というご立派な「公の正論」を掲げた山口大佐と憲兵・岡村によってあっさり捨て去られてしまった。本当に悪質な恐るべきものは何か? 金山の哀れな転落は、時勢に乗って出世した庶民のその足元が砂上の楼閣であること、そして「公の正論」と「個人の欲望」の矛盾と後者の無力さを体現しているように思えてならない。


 ところで山口大佐によって窮地に立たされた金山が、訪ねてきた王強の前でうなだれはげまされる場面がある。さすがにかつての部下に自分の苦しい立場や泣き言を直に言ったりはしないが、すでに王強に対して藁にもすがるような思いになっている様子が見て取れ、二人の立場が少なくとも精神的には逆転してしまっていておもしろい。こういう所も金山が根は素直で単純であるのが見て取れるし、またそこまで自分を信用させてしまっている王強の手腕のすごさがわかるというもの。でも王強は金山に全然同情していないけどね☆

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王強の前で弱気な態度を見せてしまう金山、立場逆転





驚愕の事実、金山(本物)は知っていた!?




 と、ドラマ版のお人よしな金山さんはさんざん鉄道遊撃隊に利用されたあげく、内通を疑われて岡村に逮捕され軍法会議送りとなるまあ可哀そうと言えば可哀そうにな運命になったわけだが、史実は実はちょっと違ったようだ。

 前にも書いた通り、原作の『鉄道遊撃隊』の登場人物には具体的なモデルがいる。この金山にもモデルとなった日本人がいて、その名も「金山」(そのまんまやん)。洋行の日本人経営者の中でも下っ端で、二人の日本人上司にいじめられる日々を過ごしていたが、洪振海(劉洪のモデル)と王志勝(王強のモデル)らが二人の上司を暗殺したため、棚からぼたもちで洋行のトップの座につくことが出来た。そして襲撃の際に自身も重傷を負うが生き延び、翌朝何食わぬ顔で出勤してきた王強に助けられて以来、彼を命の恩人として優遇している。ここまでは原作・ドラマと同じ。

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「洋行」のモデルとなった実際の「正泰洋行」跡

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市の文物保護単位らしい


 ところがドラマ『鉄道遊撃隊』のDVDにはおまけとしてメイキング映像ついているのだが、ここに出演している棗庄の歴史家がこんな証言をしている。それは日本軍の直営となった洋行を再度襲撃するため、王志勝が醤油を買いに行くふりをして洋行に偵察に行った時のこと。

 実際のところ、金山はすでに王志勝が八路軍の人間だということを知っていた。ただ、彼は(洪振海と王志勝の)が最初に洋行を襲撃した件で、(憲兵隊によって)不公正な疑いをかけられて裁判にもかけられていて、そのことをとても恨んでいた。彼は王志勝を利用しようとし、(偵察に来た)王志勝を洋行の中に入れてやった。

 なのだという。ではなぜ金山が王志勝の正体に気づいていたかどうかわかるかと言うと、同メイキング映像には王志勝の息子の証言もあり

 彼は(洋行の)部屋という部屋について、どこに何人住んでいるか武器庫には何があるかその他の部屋には何があるか、洋行の中を一回りしながら父に教えた。(略)それで最後に(持って来た)瓶に二斤分の醤油入れてもらって支払いをしようとした時、まずいことに気がついた。金は内ベルトにはさんであるが、銃も内ベルトに隠してきたのだから。もし金を出そうとすれば、銃も見えてしまう。ちょうど他の日本人も近くにいて父は大いに焦った。いったいどうすればいいのかと思っていた時、金山が代わりに代金を出しながらこう言った「どうやら王さんは金が多過ぎて持ってくるのを忘れたようだね」。

 とのことだ。ちょっとこの証言では金山が王志勝と共謀していたのか、それとも互いに直接的な打ち合わせはせず以心伝心でいたのか不明だし、金山が本当に王志勝の正体を知った上で洋行の内情について明かし窮地を救ったのかすべて単なる偶然だったのかはっきりしないと思うが、もし本当に知った上で協力していたのだったらおもしろい。

 祖国のため大日本帝国軍のためなどということよりも個人的な恨みを優先し、敵国人に自分をふみにじった同胞を襲わせて一矢報いる。これはこれであの時代になかなか見上げた根性を持った日本人にもいたものだと思う。

2012年3月 7日 (水)

『金陵十三釵』感想

 映画『金陵十三釵』の感想です。あらすじ(完全ネタばれ)はこちら。


 さて、感想の前にこの映画の思い出(?)をば。「今年はなるべく映画館へ行こう」計画の一環として映画館で見たかったのですが、例によって上映期間中はひたすら忙しく、やっと時間が出来たらと思ったらうちの街で唯一やっていた映画館も最終日。しかも早朝にやっていたこともあって、着いた時には上映が始まって10分ほど過ぎていた。そして、映画館の人は言った。「もう上映始まっているから入れることはできない」・・・・・・・ええええええ!! んな殺生な!? 中国の映画館ってそうなの? 今まで遅れて入ったことないからわかんないけど、ちょっと遅れただけでもう見せてくれないの!? 最終日だよ?

 しかし、頼んでもどうしても入れてくれそうもない。落ち込む私に映画館の人はアドバイスをくれた。「ネットで見たら?」

 ・・・・・・・・・・・・いや、遅れたとはいえ金払って映画館で見ようとしている人にネットで見ろ、とは。って言うか映画館の人にまでネットで見ろと言われるとは思わなかったYO! 

 まあ、結局DVDを買ってみましたが。買ったDVDの調子が悪くてもう再生が難しくなっているので(キャプチャーするのも大変だった)、以下、一度見ただけの印象で感想書きます。


 以下、完全ネタばれとなります。また、とある掲示板にてmizuki-yu名義で書いたものを基礎に書いています。






作品のネック


 まず、私個人の好みで言えばこの映画はハズレです。


 作品全体のネックは、この映画が南京事件(虐殺だけでなく強姦や掠奪も多発したのでこの呼称を用います)を背景にしなければいけない必然性がまったく感じられなかったからです。なんていうか、「災害ユートピア」ものに近いものがありますね。

 ・・・・・・ある意味、人間の絆を感動的に描くために、ナチスのユダヤ人虐殺を背景にしてしまうフィクションのはらみ持つ問題に通じるものがあるんじゃないかと思います。歴史的な惨劇を「感動」の材料として消費してしまうこと・・・・・・私も歴史同人などやっているのでこの問題は人事じゃないというか・・・・・・


 次に展開上のネック、というか嫌悪感を感じた箇所。この映画では娼婦たちがキーパーソンとなるのですが、後半の「娼婦たちのような底辺の女こそ最も気高く英雄と呼ぶべき存在である」とでも言わんばかりの展開、そして「悲惨な選択を引き受けながら努めて明るくふるまう」という演出・描写は、あまりの一種の逆向きのジェンダーバイアス(「娼婦=聖女」)がだだ漏れで、唖然としてしまいました。

 いや、そういう「娼婦=聖女」観って結局のところ「娼婦=卑しい女」という感覚とコインの裏表というか、どちらも「買う側」にとって都合の良い妄想なんじゃないでしょうか? 「買う側」は娼婦の身体を自由にするだけでなく、彼女らを聖女と崇めることで、その個人の人格までも思うままにしているだけなんじゃない? という疑問ぐらいは基本装備しとくのが昨今のクリエイターの教養だと思うが・・・・・・あまりにあからさまなジェンダーバイアスにこれはなにかの引っかけで実は深い意味があるのかと思ったほどです。


 あと、娼婦のヒロインとジョン(クリスチャン・ベール)の三文メロドラマも本気で勘弁してください。ぶっちゃけ、一部の感想ブログで後半が美しくて素晴らしいとか言っている人がいましたが・・・・・・大丈夫ですか?


 唯一見られたのは最後の最後で日本軍の元へ行くのをやっぱり嫌がって泣く娼婦を心を鬼にしたジョンがなだめて行かせてしまう場面が、一瞬ながら残酷極まりなく、ヒューマニズム(ジョンは映画中でその体現者と言える)や「神の前で人は平等」とはいったい何なのか、を考えさせる場面となり張芸謀の面目躍如といったところ。


 あと、日本兵の強姦を免れた女学生のヒロインが、よろよろと立ち上がろうとする場面は、弱き存在の中にある強靭さをあらわしているようで、なかなか見所のある場面です。そしてこのヒロイン「目力」がスゴイ! なんの意味があるんだかいまいちよくわからなかったけど、さすが張芸謀のヒロインって感じでした。(張芸謀のヒロインってなんか無意味に目力ありませんか?)

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光射すステンドグラスの下で弱々しくしかし確固たる意思で立ち上がる少女


 また、この作品は南京陥落の日に女学生と娼婦たちおよびクリスチャン・ベール演じるジョンがとある教会に避難し、そこで数日間をともに過ごすというのが話の骨子になります。こういう設定ですから映画の9割近くが教会とその周辺だけで展開され、登場人物たちはもちろん観客もいったい教会の外の世界(南京の街)がどうなっているのかは全くと言っていいほど描かれません。

 このあたりも私には南京事件を題材にする必然性が無いと思った理由の一つですが、某掲示版にて「当時の一般人にしてみれば街を自由に歩くことができなかったんだからそれはそれでリアリティがあるのではないか?」と指摘され、なるほどと思いました。

 そういう意味で言えばこちらの映評で安全な教会から抜け出して妓楼に戻る(そして日本兵に捕まって輪姦され殺害される)娼婦の行為をリアリティが無いと批判していましたが、全体像を把握できない、そして客観的な判断ができない当時の現場に生きた人の行為と思えばそう無理がない展開と言えるかもしれません(ちなみにこの映評自体は素晴らしいものです、私の感想見るよりリンク先の評を見た方がいいでしょう)。




日本軍は性暴力を裁くことができるか?


 こういう設定ですので住民や捕虜虐殺なども描かれることなく、日本軍の暴力は性暴力に焦点化されて描かれます。

 映画の中盤でも教会を捜索に来た日本兵たちに女学生たちが見つかって危うく強姦されそうになる場面があり、そこでの日本兵は若い女を見て大喜びで追いかけ回す野獣のように描かれてはいました。


 とりあえず李教官(後述)の活躍により女学生たちは強姦を免れましたが、騒動を知って長谷川という大佐が教会に訪れ、兵士たちの乱暴狼藉を謝罪し二度とこういうことを起こさないよう約束します。ジョンも長谷川の礼儀正しさに好感を覚えます。

 一見するとこの長谷川という日本軍将校は、昨今の中国の抗日ドラマなどで流行りの「良心的日本軍人」という奴です。「日本人がすべて悪いわけではない」ということを表現するため、抗日ドラマではこういう日本軍人が登場することがけっこうよくあります。それらはたいていそれなりにひねりが加えられており説得力があるのですが、この長谷川大佐の場合、まるで「とってつけたような」良心的日本軍人として出されました。いや、こんな「とってつけたような」「ステレオタイプ」な「良心的日本人」などむしろ出さないほうがいい、と私なんかは思います。日本のネット上では抗日ドラマの日本兵が「ステレオタイプな悪人」に描かれていることを批判する人もいますが、そういう人たちはこういう「ステレオタイプな良心的日本兵」には特に異論はないのか疑問です。


 しかし、この長谷川大佐、単なる「日本人がすべて悪いわけじゃないんだよ」要員ではありませんでした。前述の映評では彼のことを「教養あるインテリ将校の人道主義精神とその限界」を表現する人物」であると評しており、またこちらでは「劇中で日本軍は敵役となるが、渡部が演じる上官は、部下の非礼を詫び、音楽を愛する紳士的な日本人として描かれている」などと紹介されていますが、私はもっと陰惨なものを感じました。

 後半で明らかになりますが、長谷川大佐は映画の中で(それが彼の本意ではないことは明示されながらも)女学生たちを慰安婦とする計画に関わります。ここで重要なのは、兵士たちの強姦未遂という事態を憂い謝罪するような礼儀正しく理性があり良心的な心の持ち主であるこの大佐の方が、むしろ非理性的で野獣のように女を襲おうとする兵士たちの個人的犯罪よりも、日本軍という組織の中にあって恐ろしいことをやっているのではないか、という問いです。これは日本軍という組織は果たして個々の兵士の性暴力を裁く資格を根源的に有しているのか、という問いに繋がるのではないかと思います。

 ジェンダーバイアスに満ち溢れた娼婦像を描いた製作者が、果たしてこういう問いを想定して映画を作ったかはかなり疑問ですが、観客として作品と向き合う時、監督の想定を超えるものを見出しても良いのではないかと思います。


 日本軍の慰安婦制度は、南京で強姦が多発した事態を受けて、占領地の民衆の反感を買わないため&兵士を性病から守るためのもの(侵略戦争を円滑遂行するため、とも言える)に整えられたものでした。言わば秩序無き性暴力(強姦)から秩序ある性暴力(慰安所)へ。中盤の野獣のような日本兵は前者の象徴であり、後半の理性的な長谷川大佐は後者の象徴とも言っていいかもしれません。実際には慰安所の存在がその後の日中戦争での強姦に拍車をかけたという説(『黄土の村の性暴力』石田米子/創土社、他)や慰安所に通う金ほしさに抗日根拠地で略奪を行われたこともあったという証言(『ある日本兵の二つの戦場』(内海愛子他/社会評論社)などがあるわけですが。

 そういう意味で長谷川が「理性的な知識人」という人物像であることも含蓄に富んでいます。彼はそのような人間であるがゆえに組織の決定に根本的な所で逆らうことができず、またその組織なりの合理性(強姦防止)を認めてしまっているのではないか、とも思えます。慰安婦という形での性暴力は、教養もあり学歴もあったであろう軍上層部によって立案された史実と絡めれてそう思います。ずっと昔に辺見庸という作家がどこかで言っていましたが、理性的な組織が野獣のような個人より狂気に犯されていない、とは言えないのですよね。





李教官祭り

※以下、読者完全置き去りで(私が)暴走しています。腐女子的な表現もあります。 



 さて、以下、なぜか方々で無視されているものの私の中で高ポイントだった李教官語りを。


 このブログで延々と紹介している『狙撃手』にて主人公竜紹鉄を演じた[イ冬]大為が、再び国民党軍人を演じると聞いてクリスチャン・ベールよりはるかに期待していました。実は彼は『狙撃手』の時、愛国趣味の人たちからさんざん叩かれていたからです。「軍人のくせに惰弱すぎる」「中国軍人の面汚し」ってね。

 「惰弱な中国軍人」に対するあの時の中国ネット民の拒否反応は相当なものがあり、張芸謀監督がその騒ぎを知らないはずはありません。しかし、張芸謀監督はあえて[イ冬]大為を国民党軍人に起用した・・・・・・いったい監督の意図は何か? 今度はどんな軍人を演じるのか、と『狙撃手』ファンとしては期待しないわけには行きません。


 で、↓が『金陵十三釵』で李教官を演じた[イ冬]大為。

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 ・・・・・・って竜紹鉄in南京かよ!!!???

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(参考)↑『狙撃手』の[イ冬]大為演じる竜紹鉄


 いやぁ、やっぱり同じ役者が演じるんだから外見が似た印象になるのは当たり前だよ~、とも思いますが、映画が進むにつれて明らかになってきた李教官の設定は、

 国民党軍将校+天才的な狙撃の名手+無口無表情+ボソボソ喋り+自分を残して部下が全滅+孤高の戦士+血まみれ泥まみれな姿が異様に映える+子どもには優しい

 で、『狙撃手』の竜紹鉄の設定。

 国民党軍将校+天才的な狙撃の名手+無口無表情+ボソボソ喋り+自分を残して部下が全滅(複数回)+孤高の戦士+血まみれ泥まみれな姿が異様に映える+子どもには優しい+敵味方男女関係なくモテまくる+孤独を愛するように見えるが本当はは他人に傷つけられるのが怖いだけ+しかもいったん心を許すと相手に依存的になる+実はかなり無神経etc

 どう見ても竜紹鉄です、本当にありがとうございました。

 子どもに優しい以降の設定は映画では描く余裕が無かっただけでしょう。実は「李」と言うのは偽名で、本名は竜紹鉄で、映画中で戦死したように見えますが、その後(主に人間関係の問題で)国民党各部隊でたらい回しにされた後、40年ごろには山西省の段旅長の部隊に落ち着いた、という話なんですねわかります。

 いや、『狙撃手』って監督(高希希監督)違うんですが・・・・・・まさか『狙撃手』の竜紹鉄キャラ設定丸パクリですか?

 『狙撃手』では竜紹鉄は「彼と一緒に任務に出た部下は生きて戻れない」と悪評が立って「死神」と部隊内で陰口をたたかれていましたが、・・・・・・『金陵十三釵』でもしっかり部下が全滅して一人生き残っているね、37年の時からそれじゃそりゃ悪評もたつわ。 『金陵十三釵』にて日本兵たちが「狙撃手がいるぞ!」って叫ぶ場面では、「竜紹鉄!!」と笑いながら叫び出しそうでした、映画館で見なくてよかった。って言うか、君らじゃ無理だ、芥川君@『狙撃手』呼んでこい。にしても『金陵十三釵』ではちゃんと狙撃手やれてよかったね、『狙撃手』じゃ狙撃手なのにちっとも狙撃手の仕事させてもらえなかったし。


 それにしても、竜紹鉄といい、李教官といい[イ冬]大為は本当に国民党軍服着て血まみれになる姿が美しすぎる。『狙撃手』では人間的な弱さが前面に出て(そこがいいのだが)あまりそういう感じがしなかったが、今回の李教官はなんか「暴力と美」の化身のような感じがしてゾクゾクした。ぶっちゃけ、ヒロインの娼婦よりもこの李教官の方が何倍も美しいと思うのは私が腐女子だからというわけでは・・・・・・あるかもしれないが。

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 『狙撃手』でのやや簡素な感じの軍服もなかなかエロくて良かったけど、今回は軍服の上にコートをまとって走り回るシーンもこれはこれで最高だ。

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 さて、いくつかの映画感想シーンを見ると竜紹鉄・・・・・・もとい李教官の戦闘シーンは映画の中で浮いており不要という意見もあったが・・・・・・ちげぇよ! クリスチャン・ベールと娼婦たちのストーリーが要らないんだよ!! いや、それが話の本筋なのはわかっているが・・・・・・ぶっちゃけあんなどうしようもないメロドラマ展開するくらいなら、もう李教官の「一人ぼっちの戦争」をメインストーリーにした方が映画として断然良かったと思う。実際、李教官が活躍していた前半は緊迫感もあってすごく良かったけど、退場してからはグダグダになったし・・・・・・

 また、李教官の一騎当千な活躍ぶりとその前の彼の部下たちの「英雄的犠牲」は、「中国軍人の勇敢さ、英雄精神を描くあからさまなプロパガンダ」という批判はよく見かける。まあ、その側面は否定しない。特に映画冒頭で逃げる女学生たちを守るため、戦車に対抗するため彼の部下たちが爆弾を抱えてカミカゼアタック(中国の戦争ドラマではよくあるパターン)を決行しまくるシーンはそういうシーンを見慣れた私でもドン引きするレベルだった。なにしろ爆弾を巻いた兵士を戦車に近づかせるために、何人もの兵士が人間の盾になり一人一人日本軍の的になりながら前進するのだから引くわ~。


 ただ、その後一人残された李教官の戦いは、現象的には「女学生を守る」(そして瀕死の少年兵を暖かな場所で死なせてやりたいという願いのため)というものだったけど、根本的には彼の妄執に基づく個人プレーと言うべき感じを受けた。一人生き残ってしまったあとの「昏い目」([イ冬]大為は本当にこういう目が似合う)をした彼は、まさしく「死神」とも言うべき不吉な雰囲気をまとっていた。

 彼女らを守って死んでいった部下たちの死を無駄にしないため、唯一生き残った瀕死の少年兵に安らかな死に場所を与えてやるため、李教官はたった一人で外で教会を守る。死神にして守護者。彼は他人のいかなる評価も必要としていない。ただやるべきことを淡々とやる。時として手段は問わない。

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映画イメージ写真。教会を守る死神、って感じ


 なかなか皮肉が利いているな、と思ったのは教会に日本兵が押し入った時のジョン(クリスチャン・ベール)と李教官の対照的な反応。金と娼婦目当てで教会に居座っていたダメ人間なジョンは、女学生の危機に義侠心に火がついて神父を名乗り赤十字の旗を掲げ人道主義を口にして日本兵の蛮行を止めようとした。しかし、その赤十字の旗は切り裂かれ考えなしに飛び出したジョンは殴り倒されただけだった。

 その頃、李教官は何をやっていた。教会の周りに周到に手榴弾を配し罠を張っていたのである。彼は女学生が追われているのをしばし放置し、戦いの準備をしていたのである。李教官だとて女学生を守ることは(妄執ともいえるほど)至上命題ではあった。ただ何の準備も無く教会に飛び込んでも何の益にもならず、女学生を助けことにもならないこともわかっていたのだろう。彼にしてみれば、少々女学生に怖い思いをさせても最終的に救うという結果を優先したのであり、実際その合理的な判断は女学生を救った。

 つまり女学生を救ったのはジョンの義侠心でも人道主義でも無く、李教官の冷徹な判断と日本軍とは逆のしかし圧倒的な「暴力」だったのである。


 その後の李教官と多数の日本兵たちの戦いもまたゾクゾクものだった。多数の敵を相手にして李教官は冷静極まりなかった、異様と言えるほどに。彼は配置してあった手榴弾の罠を利用し、最大限の効率で黙々と敵を殺していく。

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 ↑は日本軍に追い詰められながら、指折りでカウントすることで時間をはかり敵の動きを把握する様子。

 そしてその罠とは自らの死さえも計算に入れたものだった。それは彼の部下がやったような今まさに弾が飛び交う戦場における異様な精神状態の中で行った自爆攻撃とは違う。あの罠が戦いの場で思いついたものとは思えないからおそらく一晩かけて考えていたんだろう。・・・・・・いや、それなりに落ち着いて考えられる環境下で自分の死をも組み入れた罠を淡々と考えているってそれもまた一種の狂気ではなかろうか?

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ただ一人、戦いの時を待つ李教官


 映画の冒頭で、李教官はただ国民党軍の一エリート士官といった感じだけだった。あんな昏い目はしていなかった。それが戦争のごく短い時間であのような「冷たい狂気」をまとい、敵を殲滅する戦闘マシーンのようになってしまった、ってのは充分主題として描いていいと思うけどねぇ。なんでその「一人ぼっちの戦争」を掘り下げなかったんだか。

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映画冒頭で部下に特攻を命じる李教官。この時の目にまだ「妄執」はない


 ・・・・・・って以上の竜紹・・・・・・李教官擁護はべつに私が「国民党軍服で血まれになる[イ冬]大為はやはり最高に美しい」説の持ち主だからでは・・・・・・たぶんない。


 最後に一枚。

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 やべぇ、萌える。

 追記

 ところで一部の感想ブログで「なんで今さらこんなことを描かないといけないんだ」的な感想を見かけたが、最近の某名古屋市長の否定論とそれに対する発言擁護の動きを見ると私なんかは「いや、まだまだ描きたりないんじゃね?」としか思わないけどね。

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