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2010年10月 1日 (金)

中国映画・ドラマで学ぶ中国語(1)命乞いの方法

国慶節快楽! 中華人民共和国61歳のお誕生日おめでとー


 さて、『中国映画・ドラマで学ぶ中国語』。1回目ですので特に実用的な言葉、殺されそうになった時、命乞いをするために使える言葉、を紹介します。



「我有八十歳老母」


 使用ドラマは「狙撃手」1話&13話。前回言っていた「今まで紹介したドラマから」とかをいきなり無視してすんません。「狙撃手」は抗日戦争を題材にした連続ドラマです。

容疑者”长官,冤枉啊!我们什么都不知道! 我上有八十岁老母!”(『狙撃手』1話)

訳:容疑者「長官、私は無実です! 私たちは何も知りません! 私には世話をしなければならない八十歳の老いた母がいるんです!」

方儀球”俺们家还有八十岁老娘呢 !大少,救救我!”(『狙撃手』13話)

訳:方儀球「俺の家には八十歳の老いたおふくろがいるんです! 大少(主人公の呼び名)、助けてください!」

 

  上記の”我有八十岁老母”は、1話と13話で使われ、1話ではスパイ容疑で中国軍の特務に捕まった商人(?)が、取調べの場で無実を訴えながら慈悲を請う場面。

 13話ではかつて軍隊から逃げ出し、再び戻って来たものの逃亡罪(銃殺刑に処される)で捕まった兵士・方儀球が、かつての上官である主人公(大少=若旦那と呼ばれている)に助けを求めるシーン。

 

 では一つずつ見ていきましょう。

・我wo(3)

=私

・上shang(4)有you(3)

=老人を抱える。これは「上有老,下有小」=「(扶養すべき)老人や子どもを抱えている」という慣用句の前半部分が元になっている。

・八ba(1)十shi(2)岁sui(4)老lao(3)母mu(半3)

=八十歳の老いた母。

・俺an(3)们men(軽)家jia(1)

=おいらの家。中国の一人称は「我」だけと言われることが多いが、他にもこの「我」の粗野な言い方として「俺」がある。「俺」の場合は、「オレ」「おいら」などと訳すのが適切。田舎者や教養の無い者が使う人称であるが、怒りでぶち切れた場合にも使用される。

「俺们」は直訳すると「俺たち」「おいら達」だが、この場合「们」は、後ろの「家」との関係で「俺たち(家族)の家」という程度の意味であり、またこのセリフが発せられた場面に方儀球の家族も居合わせていないので、訳する際は無視していいと思う。・・・・・・たぶんそういう意味。

 また「家」は住居としての家という意味も「家族」という意味もある。しかし、日本語で「家」と訳せば両方の意味を包括できるので、「俺の家」とする。

・还hai(2)有you(3)

=まだある(いる)。・・・・・・扱いに困る「还」・・・・・・。まあ、この場合は「有」の強調表現程度に考えて、訳すときは「いる」ぐらいでいいんじゃないかと。

・八ba(1)十shi(2)岁(4)sui老lao(3)娘niang(2)

=八十歳の老いた母。

「母」を表す言葉には「母亲」「妈妈」「娘」などがある。

このうち「母亲」はややあらたまった言葉。「老母」というセリフには発言者の教養が感じられる。一方、「妈妈」「娘」は一般的な言い方。ちなみに「老娘」とは言うが「老妈」とは言わないようだ。



 この「有八十岁老母」という言葉を『狙撃手』1話で初めて聞いた時、私はこの発言者(容疑者)に本当に80歳の母親がいるものだとばかり思っていました。実際、この人物の年齢からすれば、80歳の母親がいても不思議はなかったからです。

 しかし。

 再びこのセリフが発せられたのは『狙撃手』13話。発した人物は(年齢は明示されませんでしたが)明らかに20代後半から30歳くらい。・・・・・・・・・・・ぶっちゃけ、おまえの母ちゃんはいったいいくつの時におまえを生んだんだ!?、とツッコミを入れたいセリフですね。

 50歳過ぎての出産? 1930年代の中国(今でもだけど)で超高齢出産だな・・・・・・。

 

 というわけで、どうやら「80歳の母親がいる」というのは、どうやら命乞いの際の決まり文句のようですね(もっとも、このドラマの舞台が山西省なので、その地方のみで使われる決まり文句なのかもしれませんが)。

 実際、脱走の罪で捕まった時に「80歳の老いた母親がいる」と叫んで主人公に助けを求めた方儀球は、その後主人公が「何か家族に遺言はないか?」と尋ねた時、「長官、すんません。俺には実は80歳の母はいないんですよ」とばっちし答えてます。



 この命乞いの言葉の論理は、「80歳の老いた母親がいる」→「もう年だから俺が面倒を見なければいけない」→「だから俺を殺さないでくれ!」、ということなのでしょう。なんだか、「俺には妻子がいるんだー!(だから殺さないでくれ)」というのに似ています。って言うか、どっちの場合でも「老いた父」はどうでもいいようです。

 ともかく扶養義務のある家族を持つ人間を殺すということは、その本人のみならず扶養されていた家族にまで被害が及ぶ、最悪、彼らも生きていけなくなるかもしれない、そんな罪深いことをしてはいけない、ということ。



 さて、「八十歳の母親」がいるからなんだというんだ・・・・・・・・・ではなくて、何故「八十歳」の「老いた母」なのか?

 まず「八十歳」という具体的な年にあまり意味はないだろう。白髪三千丈、と同じく程度が著しいことを示すためのもので、この場合、”ひどく年をとっている”といることを端的に表現するための言葉でしょう。90歳だと非現実的すぎるし、70歳くらいだと何となく説得力が弱いのかもしれません(まあ、20世紀前半の中国で60歳過ぎというのは長寿の部類に入るでしょうが)。

 次になぜ「妻子」ではなくわざわざ「母親」としているのかについて。合理的に考えれば、「妻子」も夫が死ねばそれは苦労するだろうが、ぶっちゃけ再婚するという手が残っています。また「妻」が若ければ、大変ではあるが女手一つで「子」を育てることだってできるかもしれません。つまり「妻子」は、「夫」である自分が死んでも必ずしも共倒れになるとは限らないわけで、これでは命乞いとして押しが弱い。

 しかし「老いた母親」は?

 「老いた母親」の伴侶は同じくらい、もしくはそれ以上に老いていることでしょう。「八十歳」であれば伴侶には先立たれ、子どもだけに頼って生きている可能性が大です。さらに老いているなら今さら再婚も難しい。働くなんてまず不可能です。つまり子どもが死ねば、この何の罪もない母親まで生きていけなくなるのです。しかも、老い先短い中、子どもに先に死なれるショックはいかばかりでしょう?

 

 つまり命乞いの歳に「八十歳の母親」を持ち出すことは、中国伝統の儒教精神によって人々の心に深く根付いている孝行精神(親の扶養義務)や敬老精神に訴えかけるというなかなか奥の深い方法なのです。しかも「妻子」にあぶれている男はたくさんいるかもしれませんが、「母親」がいない人間はいません。しかも男はたいていマザコンだといいます。「母親」を持ち出すことにより普遍的な訴えとなるのです。


 というわけで、今回は命乞いのための中国語

「我有八十岁老母」

でした。

 ちなみにこれが命乞いの決まり文句になっているとすると、今さらそんなことを言っても誰も信じてくれないと思うので、効果のほどは保証できません。

 

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