2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

ランキング

« 『八路軍』1話 | トップページ | 『地道戦』総合案内 »

2010年8月 8日 (日)

『回民支隊』レビュー

以下、『回民支隊』のラストまでのあらすじ,ネタばれ感想が含まれます。

※中国語字幕もついていない映画のため、ブログ主のリスニング能力では(いつも以上に)内容を誤って理解している恐れがあります。

 抗日戦争時代の冀中(河北省中部)平原。

 日本軍によって無残に破壊された回族の村。

 元軍人の馬本斋は抗日に立ち上がる決意をし、回族の男たちはすぐにそれに応え、我先にと槍を奪い合う。

Cap400

 そこに回族が抗日に立ち上がったことを知った国民党高官が訪問。

 国民党系軍の傘下に入るよう勧めるが、国民党の欺瞞に気づいた馬本斋と回族民衆は彼を追い払う。

Cap401



 にしてもやたら扱いがひどい。さすが50年代映画! ↑上で犬神家状態になっているのが、国民党高官です(階段から落ちた)。小役人臭が香ばしかった。


 さて、勇猛果敢さが売りな馬本斋の部隊はさっそく日本軍の部隊に圧勝。大量の武器を獲得するが、部下の中には捕虜にした日本軍士官に買収されて逃がしてしまう者も。

 さらに日本兵と死闘を繰り広げた末仕留め、意気揚々と帰ってきた部下を馬本斋は罵る。このへん、なんで馬本斋が激怒したのか(私が聞き取れないので)わからないが、なんにしろ何か問題があったとしても生還してきた部下をまずいたわるか褒めてやれよ、と思うほどの一方的な罵倒だった。


 このへん「抗日英雄」なはずの馬本斋が高圧的で狭量な人物で、彼の部隊も士気は高いがいいかげんな面が多い、という設定になっていて、意外な気分になる。


 さて、抗日に燃え、規律正しい軍隊を作ろうとすればするほど、束縛されることが嫌いな部下たちから浮いていってしまう馬本斋。ついに従わないものを鞭打って従わせる方法を取り始める。


 と、そこで馬本斋の母ちゃん登場!

 いかにも控えめながらシンは強いといったような女性で、「こんな方法を取ってはだめだ」と息子を叱り、鞭を没収する。

Cap403

 馬本斋も母ちゃんに頭がまったく上がらない&母親のおかげで目が覚めたらしく、すごすごと鞭を差し出す。


 その後も馬本斋はデコボコ部隊を率いて日本軍と戦い続けるが、ある時絶対絶命に陥った際に八路軍に助けられる。

 単独で戦うことに限界を感じていた馬本斋は、八路軍を見込んでその傘下に入ることを決意。しかし、宗教上の理由や部隊の内の地主階級によって猛反対が起こる。が、馬本斋は強行。

 八路軍の傘下に入るに当たって共産党から政委が派遣。人民の軍隊として「戦闘のためであっても民衆の畑にみだりに入らない」などさらに厳しい規律が課せられるが、政委がきちんと道理を説いたおかげで、部隊内の貧しい者たちは喜んで受け入れる。

 しかし、地主階級の馬の副官(?)は不満を募らせ、それは共産党が「減租」政策(地主などが不当な高利で貸し付けていた借金を整理する政策。これによって多くの貧農や中農が不当な借金から解放され地域全体の経済状態も好転した)を実施すると爆発。

 副官は、ちょうど政委が腕を負傷して後方に治療に送られた機会に乗じ、馬の目を盗んで農民会(貧農など一般農民の権利を保障する)の会長である老人を捕らえて暴行を加える。老人は事態に気づいた兵士らによって助けられるが、副官は兵士たちを騙して部隊を引き連れ、馬本斋の元から去ってしまう。


 このへん老人を虐待する副官の描写がかなり嫌なインパクトがあるが、その後に兵士たちが独自の判断、つまり彼らが信じる人民の軍隊のあり方にしたがって彼に隠れて老人を救出する場面が救いになっている。

399

 さて、それに気づいた馬本斋は彼らを追いかけ、騙されたことに気づいた兵士たちは馬の元に戻る。しかし副官は誤りを認めず、ついに馬は彼を射殺する。


 だが、副官が民衆を虐待したことで共産党上部から厳しい叱責を受け、また被害者の老人は村で自分が受けた被害を村人に訴え、「回民支隊」に対する不信感が広まる。

 馬本斋は「抗日にはどんな犠牲もいる、抗日はすべてに優先する」と訴えるが、その態度はかえって被害者の老人や村人の反発を強め、全員が馬の元から去ってしまう。

 その様子を黙って見守っていた馬母は息子をいたわり、息子もまた「自分は一人になっても抗日闘争を続ける」と母に誓う。

 Cap395


 このへん馬の空回りっぷりがハンパない。いくら事件の決着はついたからといって、被害者の前でその被害を軽視するようなふるまいをしちゃいかんだろ。


 何もかもがうまく行かず一人苦悩する馬。そこに政委が帰還し、「きっとすべての問題は解決する」と励ます。政委は片腕を失っていた。馬は、政委が一刻も早く自分の元へ帰るため傷ついた腕の切断を選んだためであることを知り、彼の深い思いに応えるため再び奮起し、二人で部隊を立て直す。


 しかし、そんな時に馬の母親が日本軍に攫われてしまう。苦悩する馬だが、一度は馬に失望して去って行った民衆が再び戻ってきて回民支隊への参加を希望する様子を見て、闘争を継続する決意をする。

 

 さて、馬本斋の囚われの母だが、史実によれば、日本軍は彼女を厚遇し、息子に投降を促すよう迫るが、彼女はその要求も日本軍が与える一切の飲食を拒否し、断食闘争を行う。


 映画ではすでに飲食を断って一週間、衰弱して起き上がることもできずベッドに横たわる馬本斋の母が映し出される。そこに彼女の世話を日本軍から強要されている回族の男が訪れる。どうも不本意ながら彼女の誘拐にも協力させられたらしい(書き忘れていたが、このように強要されたのとは別に回族の内部に積極的に日本軍に協力している男がいる)。

 男は彼女に対するすまなさで悲痛な表情を浮かべながらも、こう哀願する。

 私を許してください、どうか少しでもいいから食べてください、さもないと日本軍が私を殴るのです。

 それに対して馬の母は弱々しく男を見、そして罪悪感と日本軍への怯えに捉われた男を優しく慰めるように何かを言うのである。


 ・・・・・・このへん非常に残念なのだが、重要な場面なのに私のリスニング能力ではまったく聞き取れなかった・・・・・・だが、その場面自体から感じとった言葉はある。おそらく50年代の映画であるから、実際に以下のようなセリフはほぼありえないと思うが、場面それ自体から聞こえてくるような彼女の声、それはきっとこのような言葉だ。


「何も怖れることはありません、すべては神の思し召しです」

Cap397

 
 この映画は回民支隊の(中華民族の一つとしての)民族主義,愛国主義こそ前面に出ているが、彼らのイスラーム教徒としての側面はほとんど描かれない。だが、やはり馬本斋の母のムスリマ(女性イスラーム教徒)としての側面もまた考慮に入れるべきだろう。

 イスラームでは自殺を「神に与えられた身体を破壊する」大罪として明確に禁止している。しかし、侵略への抵抗のためまた信仰を守るため、ずなわちジハードのために、自らの死が不可避である行為を行うことは禁止されていない、と解されている。(映画の中ではその可能性は摘み取られているが)馬本斋の母の闘争もまた日本軍へのジハードの一つであったという見方も可能であり、そのような彼女であれば、上記のセリフも自然に出てくるであろう(一部に誤解があるが、ジハードと「戦闘」は特に関係ない、戦闘が有用なら戦闘を、その他の手段が有用ならその他の方法をとるということである)

 しかし、いくら映画の中で彼女のムスリマとしての側面が描かれないからといって、そこのみに集約してしまうのもまた間違いだろう。

 
 (罪悪感と日本軍の暴行からの)救済を求める回族の男を見る彼女の目には怒りも憎しみもない。その目にあるのは、愛情と労わりだった。まるで実の息子に向けているかのように。

 彼女には、男が日本軍に殴られるのをどうしてやることもできない。ただ、怖れるなと言う。弱さから道をはずれた「息子」に勇気を与えるべく。病床の母親が自分より子どもを案じるがごとく。

 そして脅迫されて彼女を攫った男は、その場に泣き崩れる。


 そこに日本軍の隊長がやってくる。そして食卓の上の数々のごちそうが手付かずになっているのを見て呆然とする。

 隊長に気づいた馬本斋の母はそれまでの慈母のような表情が一変し、カッと目を見開いて隊長を凝視する。そしてそのまま力尽きて絶命するのである。彼女の髪飾りが床に落ち砕けることで、彼女の死が表現される。


 過酷な封建主義の下で生きる女性,回族,ムスリマ,母・・・・・・そんないくつもの規定の中で生き、何の力も発言権も名前さえも無い、ただ「馬本斋の母」と呼ばれる女性が、むしろそのような幾重もの束縛さえも力に変え、自らの意思で敢然と人間の尊厳を蹂躙するものに立ち向かう・・・・・・そこにこそ民族解放の原動力を見出すべきなのかもしれない。


「豊穣な記憶」は、パレスチナ人の女が、そのような過剰決定されたパレスチナ人の女としての現実を生きること、それ自体が「抵抗」であることを描くことで、男たちの特権的な「言葉」と思われた民族的シュプレヒコールの中に、これらの女たちの抵抗の声が反響していることをわたくしたちに気づかせてくれるのである。(岡真理「母の呟き、あるいは『市民』ならざる者の民主主義」/『月刊フォーラム』9(8)/1997年、パレスチナを描いた映画『豊穣の記憶』を評して)

 
 
 さて、力をつけた回民支隊は馬本斋の母を攫った日本軍部隊の拠点を総攻撃。ついに隊長を討ち取るが、政治委員が流れ弾に当たってしまう。

 ・・・・・・・・・・・・このあたり、超とってつけたような展開です。政委の撃たれ方がけっこうわざとらしい(笑

 

 瀕死の政委は、駆けつけた馬本斋に自身の血にまみれた一枚の紙を渡す。それは馬本斋が希望していた入党が許可されたことを知らせる通知であった。政委はそれを渡すと力尽きて絶命する。

 彼の失われた片腕の袖に顔をうずめて泣く馬本斋。さらに日本軍の拠点から、馬本斋の母の砕けた髪飾りが見つかり、馬は母の死を知る。

 馬本斋は髪飾りの欠片を政委の遺体の上に置き、紅旗で包んでこれからも戦いを継続することを誓って終幕。

 

 以下、やや腐女子的表現があります。

 




 映画ラストの

  • 政委が入党許可証を渡して絶命する
  • 遺体が紅旗でくるまれる

 など紅色映画としてベタベタな展開が続いて白ける人もいるかもしれないが、まあ、50年代の映画と考えれば大目に見るべきだろう。

 とにかくベタベタではあるが、それでもうっかり萌えそうになってしまうのが以下のシーン。

Cap398

 政委の死に泣き崩れる馬本斋(ちなみに手にもっているのは政委からもらったばかりの入党許可証だ!)。

 この政委、片腕が無いのだが、馬本斋が泣きついているのがその腕の無い方の袖。つまり中身が無い空白の袖に顔をうずめて泣くという非常にうまい構図になっているのだ! って言うか、ぶっちゃけ萌えたわ、この構図! 


 そもそもこの政委は馬本斋が部隊を八路軍指揮下にいれたことで、共産党から派遣されてきた人。馬本斋と一緒に部隊を発展させていたものの、ある戦闘で腕を怪我し、治療のため一時後方に行くことになった。だが、政委の不在の間、部隊は再びごたごたし、馬本斋は孤立。

 すっかり絶望しているところにふいに政委が帰ってきて、静かにその手をとり、「すべての問題はきっと解決する」と励ます。政委の帰還で馬本斋は少し回復するが、ふと政委をよく見るとなんと片腕がない!(←ってか馬本斋、気づくのが遅え)。

 政委は「治療に時間がかかりそうだったから切断してきた」とサラリという・・・・・・いや、ここマジでさらりと言っています・・・・・・。で、馬本斋はその思いに打たれて(そりゃ打たれるは)立ち直る。

 ・・・・・・うん、よほどこの政委、馬本斋を一人にしておくのが心配だったんだなぁ(実際、ちょっと留守にしていたら部隊をめちゃくちゃにしていたし)。


 そういう経緯を考えると、この「空白の袖」に泣きつくシーンは倍率ドーンで萌えだ。



 ・・・・・・にしても、この政委、なんで戦闘前に馬本斋に「入党許可証」を渡さないかなぁ?

『どうも「入党許可証」を主人公に渡す』って言うのは、革命モノの中で一種の「死亡フラグ」となっているのかもしれない。

「ううっ、××、俺はもうだめだ、最後におまえに渡したいものが・・・・・・おまえの入党申請・・・・・・許可されたんだ・・・・・・(バタッ)」「○○!!」

とかいうパターンがあるのかもしれない。今度調べてみよっ。


 ところでこの『回民支隊』、2000年代にTVドラマ版も作られている。・・・・・・上のようなラストに萌えてしまった身としては、TV版で二人がどういうふうに描かれているか見たかったが・・・・・・結局できんかった、残念。

 

 

 

  

« 『八路軍』1話 | トップページ | 『地道戦』総合案内 »

その他」カテゴリの記事

抗日戦争」カテゴリの記事

歴史人物」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1302395/35950883

この記事へのトラックバック一覧です: 『回民支隊』レビュー:

« 『八路軍』1話 | トップページ | 『地道戦』総合案内 »